一週間前の午前中以降、シロが、
住処としていた協会の敷地内から、行方(ゆくえ)をくらました。
交通事故に遭ったのでは?
当局に捕獲されたのでは? など心配したが、
昨今では、仔猫たちがほぼ独り立ち(間もなく生後半年)したので、
シロの方から身を引いたのではないかとの推論――結論に達している。
今年7月中旬に不妊手術を受けさせもしたが、
その後、体調不良の気配もなく、
子供たちの面倒をよく見、
一方で私に子を持つ以前と同様甘えもしてきた。
同日の朝方には、私の妻が、協会から間近の総合病院から退院。
昨年4月に右足首を骨折し、
プレートとネジとで骨同士接合していた、それらの異物を、
今度取り出して貰ったのだった。
6日間の入院後、私が病院へ迎えに行き、一旦協会へ立ち寄った。
そのとき、シロが、来訪者のあるときに珍しく、
協会事務局の出入り口の傍らに坐っており、
妻が、「あらっ、シロちゃん」 と、番猫(?)をねぎらったものだ。
その後もそこに居続けるので、私も、
「シロ、どうしたの? 」 とガラス戸の内から。
平生なら鳴き声で応えるところ、
そのときに限ってまっすぐ前方――門扉の外へ目を据えたまま。
昨年7月、黒猫のサブが死ぬ少し前にシロは現われ、
そのまま住みついた。
12月に我が家で文鳥のサラが死んだ。
今年4月下旬、シロが2匹の仔猫を出産。
私はまっ黒の方にサブ、
シロに共通する毛並の子の方へサラという名をつけた。
大きくなってみれば、
サブが雌、サラが雄と判明したのだが。
さて、シロを目の当たりしなくなってみれば、
2代目のサブとサラの現存が改めて意識される、
まるでシロを媒体として、
初代の彼らが蘇ってきたかのように。
また、身につまされる、
真に育成するとは、執着を断つことなのだなと。
しかしながら、私は、
事あるごとに、
シロのたたずまいが思い浮かべられる。
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