みんなの広場「こころのパレット」

||| ホームページ | タイトル一覧 |||

〈生存の手応え E〉 引用
池見 隆雄 2016/4/11(月)13:48:15 No.20160411130716 削除
 戦火により福岡市内の自宅が焼失したため、
 大叔母は夫の実母や我が子たちとともに
 草場へ避難したわけだけれども、
 当面、農家に間借りするなど不自由な生活を強いられ、
 のみならず、
 つい先頃まで「奥様」と呼ばれる身分であったのが災いして、
 地域の人々からの邪魔者扱いの風当たりはひとしお容赦なく、
 大叔母は親子心中に踏みきりかけたという。

 最近、私は、ある書物の、
   「どうしても花を咲かせられない境遇に置かれたなら、 
   地中へ根を張りなさい」
 とのいわば生きる智慧の開示を心に留めたが、
 大叔母の戦後は、まさにその実践ではなかったか。

 一方、夫たる大叔父も、硫黄島の過酷な戦場で、
 同様な営みに精魂を傾けた――その一端が、
 家族へ寄せられた手紙から看取されるわけだが。

 それでは“根を張る”とは何かというなら、
 私は、
 敢えて自分の花を咲かせようとせず、
 肉親はおろか他の人々育成の土壌となることではなかろうか
 と思う。

 昨年7月に放送された大叔父一家のドラマは、
 決して私の納得行く出来栄えではなかったが、
 なお且つ映像の効能は侮(あなど)れず、
 大叔父と大叔母それぞれの根は、
 時間・空間、更には生死の境をも越えて結び合っていたのではないか
 との沈思へ私を誘う――

   連想、追憶しがちの大叔父が、
   この私の立場の視聴者であるとしたならどうだろうと、
   空想を膨らましてみるのも楽しい。

 そして、夫婦の“根”の連繋が、
 ささやかな私の根へも、
 生存の手応え、
 と共に育成の恩恵として響いてきた。
 重い重い感謝の手応え。

 
 協会の窓から遠望できる銀杏(いちょう)の裸木が、
 数日前から不意に、
 澄んだグリーンの若葉をあまた現出させ出した。

 ――私に身近な人たちの全てが、
    この樹のようであるように。
    私に身近でない全ての人たちも、
    この樹のような瑞々しい生命力に溢れているように――

 私一個の身へも、時々刻々惜し気なく注がれている
 天地(あめつち)の育成の恩みを感受できるほど
 私の“根”を張り広げられたなら、
 自(おの)ずからきっとそう願う。

                    (続く)

パスワード  (ヘルプ)


    << 戻る