小学校から高等学校まで同窓のM君と、
今日も、年賀状の遣り取りのみは続けている。
親友というのでは到底ないが、
どこか気が合うといった程度の交流。
彼と顔を合わせた最も近い記憶は、
彼の結婚披露宴に招かれたときなので、
それが実際ならば、40年ほど前になる。
今年の年賀状に、手書きではないが、
彼が昨年1月に二度目の勤めを退職し、
その後は、「煩を避け、家の門を閉ざし、
雑木林に囲まれた我が家で、野鳥の声を聞きながら暮らしている」と。
しかし、昨年5月、雨の中で仔猫を拾ったため、
家の内はけっこう賑やかとか。
まるで世捨て人を想わせるその文面から、
老成の気味のなくもなかった彼の風貌が蘇るとともに、
彼の今日までの生活――内面の軌跡は、
平坦ではなかったのだろうと思い巡らされた。
先々月に入ってだったか、
M君の文面へ対して一人くらい反応する者があってもよいのではないか
とのお節介を動機として、
私は彼宛ての葉書を思い立つ――
協会にも2匹猫がすみついており、なるほどけっこう賑やかだと。
返信は来ず、期待もしておらず、
こちらから音信したことも忘れ果てていた。
一昨夕、帰宅するや否や、妻が、
「ほら」と私に、なじみのない猫の写真を示す。
反射的に、「うちの猫たちとは比べものにならない」と言い捨てる
――私の執着と偏見は、いつの間にか不躾の域に達している。
写真を裏返してみて、
それが、M君からの返信の葉書だと分かった。
近用の眼鏡を掛けていない私のために、
妻が文面を音読してくれる。
娘に猫の写真を葉書にしてもらったとのこと、
女の子でなかなかの美猫。
小さいときから人中で可愛がられて育ったので、
だれにでも愛想よく人気者になっている。
また、時節柄の自愛を と。
|