先日、佐世保のU君の実家から、
「忌明けの志」としてタオルケットを届けていただいた。
桜色の布地に、その花が織り出されている。
“忌明け”とはいえ、華やかというか・・・
違和感を覚えるのでは些かもなく、
いわば、いただいたこちらが慰撫されるかのようだった。
その翌々日の夕食のときだったか、妻が、
「今、ふと思ったんだけど、
隆雄さん、掲示板に、U君が桜になったみたいなことを書いていたよね? 」
問い掛けが唐突過ぎて、束の間そのことを思い出せないくらいだったが、
「・・・あ、そうそう、〈hikaruさん、Uさん、そしてU君〉の終わりのところにね」
「U君のお父さんが送って下さったタオルケットの柄も色も桜でしょう」。
私のその部分の書き込みを、ここに再掲すると、
「この時節にはU君、桜となって咲き匂っているね」(3月26日)
「そうかあ――符合しているね。
お父さんが、掲示板を見られるとは思えないが、
弟君が見たかな? U君自身は、必ず見てくれていた」。
私の書き込みとの間に相関があるにしろ無いにしろ、
この品物は、昨年12月に1度だけお目に掛かったご父君、
あるいは弟君のお人柄にふさわしいように思う。
そのときU君から、
去る2ケ月前に夫人を亡くされたご父君が、
葬儀の翌日だったか、日がな一日、夫人の位牌の前に坐り尽くしておられたと。
「それだけ父には、母の存在が大きかったんです」。
U君を喪った後のご父君の佇(たたず)まいも、同様であったかもしれない。
その思いが深ければ深いほど、それはやがて、
夫人やU君を知る人たちへの感謝と思い遣りへと浮上せざるを得ないだろう、
その人たちの心にこそ、夫人やU君は生き続けているのだから。
妻が、
「隆雄さん、そのタオルケット、使わせて貰ったら?」
と促す。
使わせていただこう。 U君とご家族とのご縁に感謝して。
更には、夢の中でであれ、
いまだ知られざる己の桜を咲かせたいと願って。 |