みんなの広場「こころのパレット」

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一杯のコーヒー 引用
hikaru 2018/8/30(木)18:33:44 No.20180830182416 削除
私は、子どもの頃から、ずっと自分の気持ちを、自分の中に押し込めて生きてきました。
私の気持ちを聴いてくれる存在が、まわりに居なかったからだと思います。
きつくなると、ガス抜きのように、ときどきヘラヘラと泣いたりしていました。
すこし、空想して、自分をなんとか保とうとつないできました。
自分の体の中に、いろんな気持ちが地層のように積み重なって溜まっていました。

だから、グループに参加しても、自分の気持ちを声に出して、しゃべり出せるまで、
いつもすごくすごく時間がかかりました。
それを辛抱強く待ってくれた人もいるし、私のような人間は理解しにくいという人も
いたと思います。

もう何十年も昔に参加したグループの話です。
ひとりのファシリテーターは、私のような存在は苦手のように見え、無意識的に
私の存在を無視しているように感じました。
もうひとりのファシリテーターは、そのことや私のことを気にはしてくれたけれど、
もうひとりのファシリテーターに遠慮して、実際に動いてくれることはありませんでした。


うまくそのグループの中に入れないでいると感じていた。自分の中の要所要所を
いくつもはずされたと感じた。
グループの部屋の中にいるのもしんどくなって、外に出ている時間も多かった。
グループの進行はとてもゆっくりだった。
メンバーの中に、私のことを気にしてくれた人もいたけれど、やっぱり私は、
みんなの中に入れていないと感じていた。

最終日の前夜、お酒の席に、やっと顔を出し、メンバーの人たちが楽しんでいる
様子を眺め、一緒に写真を撮ったりもしたけど、やっぱり私は苦しかった。

最終日の朝のセッション開始時、「コーヒーの人?」と聞かれ、私は、
勇気をふりしぼって手を挙げた。
でも、私の前にコーヒーは出てこなかった。
私はその時、確信した。このグループに、私の存在はなかったのだ。
心は混乱に陥った。このグループから、どうやって私は帰り着けるか、、

グループが終了し、皆が別れを言って帰るとき…
私は、メンバーの人に歩み寄って、さようならを言いたいと思ったが、
もう力なくからだは動かなかった。

ひとりで帰る。まず、タクシーが捕まらなかった。やっと隣町のタクシーに
来てもらった。
帰りの電車にはもう間に合わない。空港に行く手段は他にあるか、タクシーの
運転士さんに相談すると、無線で問い合わせてくれ、高速道路上のバス停から
空港に行く高速バスの時間を調べてくれた。
バス停で下ろしてもらい、タクシーは、高速バスが私を乗せるのを見届けてから、
その場を離れてくれた。
飛行機になんとか間に合い、電車に乗り継ぎ… そしたら、なんだか遠く離れた
場所に来てしまい… 乗る電車を間違えたのだ。
また時間をかけて分岐点の駅まで戻り、正しい行き先の電車に乗り換えた。
深夜に、やっとのこと、家までたどり着いた。

これだけの行程を経なければ、あの場所から、自分の場所へ戻れなかったのだと、
理解した。


後になって、このグループにうまく入れなったことを、池見さんに手紙で話すと、
心が痛むと言ってもらった。
たとえグループの進行を一時止めてしまったとしても、だだをこねて、自分の
わがままを言ってもいいんだよ、と教えてもらった。
それは、わたしのためだけではなく、必ず他のメンバーのためにもなるのだから、と。

それまでの私は、そんなことしていいなんて、思ったこともなく、
目からウロコ… 驚きも正直覚えたけど、、そうなんだと。

このグループで経験した痛みは、感触を変えていっているけれど、何十年もそして
これからも、私の中に存在し続ける…



今の私はというと、自己肯定感が前よりだいぶ高くなり、自分の気持ちは、口から
出てくるようになりました。
(おしまい)

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