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〈「飛鳥(アスカ)」の謎〉 引用
池見 隆雄 2019/7/1(月)14:57:57 No.20190701134014 削除
 今回は、『古事記傳』三十八之巻(『古事記』「履中・反正天皇の段」に対応)から、
 「飛鳥」なる地名がどのように成立したかの自説を述べる、宣長の註解に
 耳を傾けてみようかと思う。

 彼の説によれば、その成立の経緯は、
 皇室を揺るがす重大な事件――陰謀と、
 それへの対処を抜きにしては考えられない。

 第18代・反正天皇(但し、即位以前)が、
 陰謀を終熄させるためある人物の首を自らの手で斬ったのが、
 後に「近飛鳥(チカツアスカ)」(河内の飛鳥)と呼ばれる土地であり、
 その行為の汚れを祓い浄(きよ)めたのが、
 後に「遠飛鳥(トホツアスカ)」(倭(ヤマト)の飛鳥)と呼ばれた土地であった。

 天皇は両所において、それぞれの手立てのため、
 目的地への出立を「明日」と翌日へ延ばしたのである。

 これら出来事の詳細は、『古事記』の前述の段、
 『日本書紀』「履中・反正天皇之巻」を、ご参照いただきたい。
 それを前置きとしてここに記すには、入り組み過ぎているが故に。

 以下は、例によって、拙い現代語訳。


 大和国高市郡内の遠飛鳥は、
 『神名帳』(神社の神の名を記した帳簿)に、
 飛鳥坐神社(飛鳥に坐(ま)す神社)、飛鳥山口坐神社(飛鳥の山の口に坐す神社)、
 飛鳥川上坐神社(飛鳥の川上に坐す神社)などの神社のある地で、
 第19代・允恭天皇の「遠飛鳥の宮」、また23代・顕宗天皇、
 34代・舒明(じょめい)天皇、35代・皇極天皇、36代・齋明天皇、
 40代・天武天皇などの都も皆この「飛鳥」に置かれて、著名な地である。

 なお、この地については、「近飛鳥宮段」で、
 「飛鳥川」へ言及されるところでも触れるつもりである、〔『古事記傳』四十三之巻の六十一葉〕。


 さて、「遠飛鳥」・「近飛鳥」という地名は、両者とも、
 ここの『古事記』本文中に、後の反正天皇が、
 「明日(アス)」とおっしゃられたのに依拠している。

 〔単に「明日」とおっしゃったというだけで、
  その言を地名として止めるとは些か見当違いのようであるけれども、
  この「アスカ」という地名は、何気なくおっしゃった言葉そのものに因むというより、
  前述の河内でも、『古事記』本文のこの箇所の倭でも、
  直ぐにその日の内に出立されていいところを、
  抜き差しならぬ行為にかまけて先延ばしして翌日になさったのが、
  続けて二(ふた)ところで全く同じ成り行きであるのは、
  前例のないことであるからである。〕

 アスカの「カ」は、ありか、すみかなどの「か(カ)」と同じで、
 ある場所という意味であるだろう
 (そこで、「アスカ」とは、天皇が「明日」と言われた場所ということになろう。
  また、明日香と表記するときの「香」は仮名、つまり漢字の音を生かしている)。

 さて、この二ヶ所の地名は、
 水齒別命(ミズハワケノミコト=反正天皇)の治世になって、
 故意に名づけなさったのであるだろう。

 〔この王(キミ)はこのときまだ、天皇の位につかれていなかったのだから、
  思いのまま地名を改めなされようはずもなく、
  これは自然と、人々によって言い出された地名でもないのである。
  ご自分の御世に至って、初めて、
  心に重くのしかかる因縁の地であるがために(贖罪の意味合いか? )
  元からの名を改めなさったに違いないのである。〕
                          (続く)

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