15〜16年前に書いた私の文章――今日までで最長の、を見直す機会を得られて、
そこに交じえられている、
現在の私がもうほぼ忘れていた、小学低学年時の一エピソードに邂逅し、
“粗暴な気分屋”がイメージの大勢を占める自分にもそういう一面があったか、
と驚きにも似た思い掛けなさへ誘われ、
とともにそのときの情景が、モノクロながら新鮮な映像として蘇る。
両親と私、妹一家は、その当時、叔母(父の妹)経営の、
「長生病院」と命名された内科・小児科の裏手にある二階屋に住んでいた。
「長生病院の塀のすぐ内側に、一本の桜の木が立っていた。
(中略)開花の盛りが降雨に見舞われると、
私と妹とは申し合わせたように、傘をさして桜の下へ行った。
知らぬ間に散ってしまうのが口惜しかった」
既に、今年の桜の芽も膨らみ始めている。
花の時期を迎えると、私は、仕事前に職場付近の公園へ、しばしばバイクを乗りつける。
桜好きに変わりはないが、落花について曾てほどの執着はない。
開花していようといまいと、私の内面世界の一画は、
それらの彩りに染め上げられて不変なのだから。
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