みんなの広場「こころのパレット」

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〈沃 野(よくや)〉 引用
池見 隆雄 2020/7/20(月)14:04:28 No.20200720132206 削除
 毎月1回、大体第一月曜日の夜、2時間ほど、
 仏教関係の書物をテキスト(あるいはダシ)とする少人数の集いを開いてきた。
 もう何年経ったのか?
 60回は越えているのではないか?
 参加人数は、1回につき、精々5,6名。

 このところテキストは、鈴木大拙氏の『大乗仏教概論』。
 これは元々、欧米の仏教学者、及びその方面の通(つう)を意識して英文で書かれた啓蒙書で、
 私たちは佐々木閑氏訳の岩波文庫を用いている。

 そういう執筆動機だから、哲学書めいてたいへん難解。
 それを敢えて選んだのは私自身であって、
 第一の理由は、著者自身の見性体験を基盤においての、
 気迫のにじむ堅牢な論理的記述が感銘深かったから。
 第二には、それと連関して、
 読者に阿(おもね)らず、己の主張を貫こうとの著者の姿勢が好ましかった。

 しかし、後者は、改めて思い直せば、
 「大乗仏教」の意義を欧米のインテリに知らしめようとするのだから、
 当然そうあらねばならないわけだけれど。


 さて、7月のその会は、6日の月曜日だった。
 折しも九州全域は前日来の豪雨に見舞われており、
 福岡市内も、熊本や大分にこそ及ばないが、
 その雨脚は、外出をためらわせるに十分の苛烈さを呈していた。

 まして会の開かれるのは夜間。
 私は、協会事務局内を集い向きに設(しつら)えるその一方、
 我が心の内をも、その夜は誰の訪れも期待すべきでない、と備えつつあった。

 しかし、それを半ば裏切って、定刻の6時半前に、この会への初参加の男性が。
 そして結局、各々いくらかの間を置いて、予定通り、
 96歳の私の母を含め、私の他に6名の方々が顔を揃えられた。
 着きしだい、
 「今晩、この会はあるのかしら?」と半信半疑を口に上す方もあり、
 参加者にとってもこの成り行きが、望外だったと窺われる。

 会の進行は、テキストを一節ずつ順次、参加者に音読していただき、
 次いで疑問点や感想を出し合い、理解の糸口を得ようとするわけだが、
 テキストの文面や分かち合いに触発され、
 そのときその場で連想された日頃の思いの言語化表出の否(いな)まれることがない、
 どころか私は、そういう道草こそ、
 知的理解の偏向から参会の我々をして、
 人間性の沃野(よくや)へと解き放たせる鍵を握ると見なしている。
                            (続く)

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