今月19日、午前5時〜6時の間に、母は息を引き取った。
確かな時は不明、というのは、そのとき、
医療関係者、親族の誰も、付き添っていなかったということ。
「ひとに迷惑を掛けたくない」を最もすばやく念頭に浮かべやすい
母らしい最期ともいえるか?
その前日、親族が見舞いに訪れても、目も口も閉じられたままだったという。
息遣いが多少乱れていたのが、
親族が歌を歌って上げると、安らかさへ移行したとのこと。
それを聞いて、私は、遠い昔を思い出した。
私が幼稚園児の頃だ。
母が子供向けの歌の本(絵本)を求めてき、手仕事の合間、
それを眺めやりつつ私に歌って聞かせる、というより楽しんでいるふうだった。
五線譜も添えられていたので、母は未知の曲でも、
音符を辿ることによって、直き歌の体(てい)にすることができた
――私には魔法のようにも思えたのだった。
しかし、それ以降、今日まで、母の歌声を聞いたためしがない。
家庭内の人間関係の難しさや、
心身医学(後の心療内科)を我が国に根付かせようと躍起になっている父を、
心身両面でバックアップすることで、
そんな心のゆとりも、時間のゆとりも持てるはずがなかった。
人としての軛(くびき)から解き放たれ棺の中へ納められた母へ対していると、
「歌うように、晴れやかに見送ろう」
との感慨に捉われる。
享年98(あと2ヶ月余生き延びていれば99)。
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