みんなの広場「こころのパレット」

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〈必然と能動 @〉 引用
池見隆雄 2022/11/14(月)14:37:22 No.20221114141203 削除
 例えば、何らかの出来事をきっかけに内なる風景が開け、明るみ、
 未来を創る道筋も見定められそうで、心躍りに駆られる、
 正にその瞬間、
 それを阻もうとする、あるいは不可能との刃を突きつけてくる、
 器質的(現在なら左耳の聴力低下)、神経的不均衡が頭をもたげてくる、
 少なくもこの三、四十年間、
 そうした厄介に、私は、たびたび見舞われ続けてきた。

 耳――聴覚に焦点を絞れば、
 何らの対象や必要もないまま異様に緊張し、
 やがてその機能の低下を前触れする耳鳴りが始まる――

 耳鳴りは逆の方向、つまり改善の暗示の役目も果たすが、
 両者でその音の高低や音色が異なる。
 一般に、高くて細いのはマイナスを、低くて幅広のはプラスなのだが、
 この場合はむろん前者である。

 その緊張を弛めるべく意識的手立てはさらになく、
 この状態が持続すれば聴力が低減との強い不安、恐れに脅かされつつ、
 手を拱(こまね)いているしかない。
 そして、大抵、服薬などによる折角の改善も、元の黙阿弥に落着する。

 つい10日ほど前も、そうした苦境に陥りかけ、
 ある方へ電話を入れる選択をせざるを得なかったわけだが、
 それはこの1年半ほどの習慣めいてもおり、最後の手段めいて認識されてもいた。

 不思議の感を拭い切れないが、
 さて電話を入れようと決めると、ほぼその都度、私の意識が少なからぬ変容を蒙る。
 このときも、例外でなく、
 混濁の最中へ清明な影が仄(ほの)めき出し、やがてそれが言葉へと形成される、
 ――自意識によるコントロールが不可能ということは、
   この事態は、私にとって、必然というべきではないか、と。
                            (続く)
 

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