Uさんの返信への直接の応答にはなり得ませんが、
次のようなことを述べたくなりました。
私も、國分功一郎さんの『スピノザ』(岩波新書)を先週金曜日に入手し、
読み始めているところです。
Uさんの返信中にその書への言及が見られたのも動機の一つですが、
前に、同著者の『中動態の世界』、『はじめてのスピノザ』、『スピノザの方法』に
馴染んでいたからということもあります。
それらから、スピノザその人の著書、就中『エチカ』へのけっこうな追い風を受けましたから。
さて、『スピノザ』を入手した翌々日でしたか、それを開きつつ、ふと、
「わが国で、スピノザの全集というものは出版されていないのだろうか」
と思い立ったわけでした。
グーグルで検索したところが、岩波の今年の新企画として、スピノザ全集が予約出版されるとあり、
何とその第1回配本(『エチカ』)が今月20日だというのでした。
私は少々興奮を覚えました、どういう興奮か?――縁を感じるとでもいいましょうか。
実は私は、50年以上も前に、書店の店頭で、
スピノザの初期の著述『知性改善論』の薄っぺらな文庫本を見出し(当時50円でした)、
これくらいの分量なら哲学書でも読み通せる、と求めたのです。
論理の道筋に添って行くのは、私にとって至難ながら、
論述以前といいますか、そもそもその著述に手を染めたスピノザという人は、
何か確かなものを会得しているとの直観めいた感動に促されて、
最後まで読み通すことができました――尤も、その著述自体は未完の作なのですが。
それ以来、スピノザは、私の内面世界の一隅に居を構えており、
國分さんの『中動態の世界』第8章が呼び水となって、
俄然、脚光を浴びることになりました。
スピノザ関連の書物の他、私は、繰り返し主著、『エチカ』を取り上げていますが、
今度は、國分さんの『スピノザ』をきっかけに、
この哲学者の他の著作へも目を向けることになりそうな雲行きです。
尤も、私のスピノザへの関心の源を突き詰めると、
彼が若年、“神即ち自然”を悟達した、その事実への観入ということで、
これと、禅の公案、「肘、外へ曲がらず」とは無縁ではなかろうと見当を付けています。 |