サスケ(文鳥・女の子)と遊んでやっているつもりでいたが、
逆に、自分の方が遊ばれていたのかも、と家内が漏らす。
例えば、サスケが家内の右膝の上へ来たとする。
家内は反対側の膝を掌で叩く、するとサスケはそちらへ跳び移る。
またその反対側が叩かれれば彼女はそちらへ、無心気に。
何セットかそれらが反復された後で、家内は異なるエクササイズを挿入する――胸を叩く。
サスケもそれに応じる。
今度は、左右の膝の間に胸という三角が、何セットが継続されるわけだ。
そこへきて、家内が、元のように、左右の膝間の平行移動を促すべく手を操ると、
サスケが動作を止め、
「なんで? 」と不審げな目の色で家内を見上げたという。
そのことから推測されるのは、
サスケの行動は、決して、家内の手の動きへの条件反射でなく、
その構図をもイメージしながらであるらしい、ということ。
別言すれば、家内の、自分を試みようとの意図を、小癪(こしゃく)がりながら。
更に推測を重ねれば、
家内の意図に「合わせてやるか…(喜ぶだろうから)」という遊び心も持ち合わせている。
それを元の単純な左右の動きへ戻された日には、
鳥(サスケ)としてのプライドが傷つくのかもしれない。
彼女は、そんなふうに、
私たちとの様々な関係のありようを、俯瞰的に把握しているかもしれないのだ。
確かに、そう想われる節が、種々の場面で認められる。
彼女は現在2歳と2ヶ月。
この秋には初の産卵も経験している立派な成鳥である。
序でに記しておけば、産卵がいたく負担だったらしく、
生死に関わるかの容態を呈したので、家内が病院を受診させたところ、
体力消耗につけ込んでメガバクテリアが大量に発生していると発覚。
抗生物質と栄養剤とが処方された。
点眼薬の容器めいたそれから、小鳥に薬剤を含ませるのが容易(たやす)くないことは、
想像に余りある。
しかし家内は、サスケ以前の二羽の文鳥を手塩にかけた経緯があり、
サスケを捕えた手の指でその嘴をこじ開け、首尾よく目的を果たすことができた。
サスケは4,5日で倍旧の元気さを取り戻した。
彼女が、私たち、取り分け家内の存在を切実に必要としているのは言をまたないが、
私たちについてもそれは相当程度妥当し、
あたかもその相互関係のマスコットであるかのように、彼我の遊び心が発現してくるのかもしれない
――それは、「中動態的プロセス」にも準(なぞら)えられようか。
ところで、私は、漱石晩年の随筆集『硝子戸の中』を、長年、愛好してきたが、
比較的初期の作では、
中篇、『文鳥』が、蜘蛛の糸に貫かれた雨滴を想わせる、透徹した光彩を放つ。
|