ここ一年数ヶ月ほど、私は、仕事場からバイクで程近い、「〇〇外科・整形外科」へ、
頸椎変形の症状で通っている。
この症状が自覚されてから優に10年を超しており、
この医院は同科の三ヶ所目なのだが、ちょっとやそっと快方へ向かわない。
昨年末、年内最後にこの医院を訪れ、牽引や電気治療を受けた後、
支払いのため待合室に控えていたところ、
図らずもBGMが私の聴覚をノックしてきた。
ここのそれは、常に、ごく控え目の音量を与えられたクラシックのピアノ独奏曲。
突発性難聴を抱えて、そういった小音量の楽音へさえひどく拒否的に鋭敏で、
まして騒音となれば・・・
それら外部からの音響が、
萎え気味の聴覚への更なる負担となるとの強迫的な怯えに支配されがちなのだ。
それまで、病院のBGMへ対しても、それがないかのように意識を働かせていた。
その構えが治療後の心地良さによってふと弛んだとき、
音楽の微風が、私の聴覚、
というよりそれを待ち望んできた、私の心の一点に懸かるエオリアン・ハープ(風琴)の弦を掻き撫で、
その波動が忽ちに胸中を一杯に満たし、目頭を熱くさせた。
久方ぶりの音楽の到来。
個々の事物が自然の内に存在するように、
音楽も自然の内にある秩序を保って存在し、
こちら側の受容する条件が調うのを待っていてくれる、いつまでも。
音楽も私も、いつまでも存在し続ける。 |