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〈『スピノザ――読む人の肖像』〉 引用
池見隆雄 2023/3/8(水)15:00:38 No.20230308141845 削除
 昨年10月に刊行された國分功一郎さんの『スピノザ――読む人の肖像』を了える。
 それへ手を伸ばしたきっかけの一つは、
 この掲示板へのUさんの投稿中に、同書との取り組みについて述べられていたからだった
 ――「Uさんも、読み了えましたか?」

 私は大変な遅読家で、一昨々日まで3ヶ月近くを要した、
 尤も、読書の対象をこれのみに絞っていたわけではないが。
 新書で400ページを超える例を、他に知らない。
 特に近年は200ページにさえ届かないのがほとんどだ。
 分量からのみでもこの著が力作なのが窺われるが、読み進めるにつれ、その感は募る。

 「あとがき」では、完成へ至る過程で、著者の血肉同然の哲学体系が、
 あたかも改宗を迫られるかのように容赦なく見直され、
 組み立て直されねばならなかった労苦の、率直な述懐に接しられる。

 この書の、ドゥルーズを始め従来のスピノザ研究からの一歩前進は、
 この哲学者固有の“自意識”の概念へ対する新たな視座の提示だろう。
 例えば、意識はニュートラルではなく、必ず善悪の判断を具備しているといった
 ――スピノザ自身は、「意識」という言葉を使用することはなく、
   それに相当するのは「観念の観念」だ。
   つまり、目に映ずる対象などの観念を、それと認識する観念。

 それにしても、私がこの著作の中で最も気に入っている國分さんの解釈的な表現は、
 「神の本質とは、存在していることそのこと、作用することそのこと」という一節。
 それは、今西錦司さんの、「人の上に神なく、人の下に生物なし」、
 また、聖フランシスコの、「兄弟なる太陽、姉妹なる月」、
 などと響き合って止まない。

 存在していることそのこと、作用していることそのことにおける限り、
 神、人、人以外の生物、そして無生物も、永遠に平等なのだ。

 『スピノザ――読む人の肖像』は、“スピノザ入門”的側面も有していると思う。
 著者がこの哲学者の人物像と思想形成を語る上で必要不可欠と見なした伝記的記事が、
 全体に比せば決して多くはないページ数ながら、
 ときに小説の助けも借りながら、昨日の出来事のような生々しささえ漂わせる。

 このような著者の配慮、構成ゆえに、
 スピノザの人生や思想と今日まで無縁な読者でも、戸惑いを覚えることはなかろうと思う。
 唯だ、上記したプロセスを経た作であるから、
 読み抜くには、それ相応の労力が求められるだろう。

 時たま、入門的側面と新たな研究成果とを高い次元で兼ね備えた書物が現れるが、
 國分さんの近作を、そういう得難い一冊だと、私は勝手に決め込んでいる。

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