K 様
昨日の「〇〇会」に出席された際のKさんの様子が、会の後も気掛かりとなり、
次のようなことを思い巡らしましたので、何らのお役にも立ち得ないでしょうが、
取り敢えずお送りする次第です。
まず、前提として――
スピノザは、若い時分に、「神即ち自然」を直覚(確信・得心・会得)したと言われており、
彼の主著『エチカ』は、それを、論理的に解説しようとの意図から表されたもののようです。
一般に、思想書・哲学書においては、
考察を積み重ねた末に、結論に到達するという行き方だと思いますが、
『エチカ』は、その逆を辿っているともいえるのでしょうか。
さて、スピノザは、精神(内容)を、
「(精神は)身体の変状とその観念からなる」と規定しています。
この“変状”には種々の意味合いが込められると思いますが、
今は煩雑さを回避するために、
私たちの五官が外界と接触すること、刺激を受けることに限定しておこうと思います。
その事態を経て、私たちの内に(脳に)、外界のイメージが形成されることとなります。
それを“観念”と言って良いでしょう。
その観念は、現代科学において、実際の外界とは非常に異なっていることが証明されているわけですね、
いわば、私たちの内界が、外界を歪曲している。
その筋に添えば、私たちは幻影の内に生きている。
ここで、方向を転じて、私たちの存在、また外物の全ても、
スピノザによれば、神=自然から中動態的プロセス(内的原因)によって顕現したとされています
――創造されたのでなく顕現、言い換えると、全ての個物は、神の“表現”なのです、
神は唯一の実体ですから、その表現は、実在ともいえ非実在ともいえます
――神=自然ですが、自然=神ではないのです。
スピノザは、神(自然)を「絶対無限の存在者」とも称しています。
絶対は比べるもののない唯一ということであり、
無限は始まりも終わりも、境もない、つまり形がないということです。
ですから、それは、「カタチのない唯一の実体」と言い換え可能です。
(続く)
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