(「龍をめぐって」を書き了えようと思い立てなくなっている。
書き出しの動機が希薄であったのかも知れない。
いやそれより、もしかすると、近頃、
スピノザ―位已さん―スピノザの影響も受けているフランスの哲学者アラン
という系列に触発されがちな中で、
「幸せ」への積極性が増し、というより自らの生へ対して、原因、結果としてでないそれを、
ほのかながら持続的に味わえているという成り行きのせいの方が優っているのではないか。
原因、結果としてでない「幸せ」とは、一過性でなく、
常なるその流れの中に、身を浸しているかのごとき有様をいう。
――一般に「脳天気」と形容される状態かもしれないが。
「龍をめぐって」の続きをいくばくか記してみたので、未練がましいが、以下に、そのまま投稿しようと思う。
近い休日にまた、八龍神社へ出かけ、あの絵の前に暫し佇むだろう。
あの龍は、何となく幸せそうだ。)
原田直次郎作の観音と龍の背後には、
大火炎に伴う黒煙のごとき凄まじい様相の暗色の雲が立て込めている。
画面左上隅のみが、現実世界へ通ずるかのように開け、雲へ薄陽が射しかけている
――その一隅を欠いているとしたなら、
この作へ対する私の印象は、畏怖というより恐怖へ傾いていたかもしれない。
龍の巨大な体躯を支えるがごとく、紅蓮の炎さえ燃え盛っている。
『絵画の領分』を拾い読みしたところでは、
原田はドイツへ留学し、彼の地で森鴎外と懇意の中になった。
その間柄は、原田が36歳で夭折するまで続く。
帰国後、鴎外の出版物の扉絵や挿絵も描いている。
しかし、彼の畢生(ひっせい)の作ということになれば、
当時としては破格の寸法、縦3メートル、横2メートルという『騎龍観音』。
第3回内国勧業博覧会(「明治23年)に出展されて大評判を取ったという。
原田作と神社の素人画家のそれと、
技術や寸法、その他において比ぶべくもないが・・・ (未完)
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