私自身のために、冷水をコップに2杯あおり、
キッチンに見出したバナナを1本。
さて、籠の前に屈み込んでサスケと目を合わせ、
「オカアさんが帰ってくるまで待っとくんだよ」と。
20分余の行程を、協会へとって返す。
心なしか、往きよりも、暑気が和らいでいる。
午後5時前、家内から、ラインが入った、
「サスケのために、エアコンのスイッチを入れに帰ってきてくれて、ありがとう」。
私の想定より、早めの帰宅が可能だったらしい。
始めは狐につままれながら、幾つかの兆候から、私の行動の結果と察知したのだ。
「お宝お嬢ちゃんだからね」と返信する。
それからまた10分ほどして、サスケの写真とともに、
「お蔭で元気、ありがとうって言ってるよ」。
サスケの目の表情がいかにもそれらしく判断されたところで、
思いがけず熱いものがこみ上げて来そうになり、慌てて画面から目を逸らす。
その熱いものはしかし、必ずしも、
サスケの表情に根拠を置いているのではないように憶測される。
やがて自ずと思い廻らされたのは、
サスケ(文鳥)の形を取った“存在”そのものに、
微かにであれ触れ得たのではなかったかと。
エンカウンター・グループを続けて来られたのも、
これからも能う限り続けようとしているのも、
参加の方たちとの間で、そういう瞬間があればこそと思う。
その触感を情調の側面から窺うとすれば、
無条件の喜び、及び思い遣りであるだろう。
“存在”そのものへの触知というお宝中のお宝を、
サスケが返礼としてもたらしてくれたのだ、と思いなして、
この小文の題名を〈お宝〉としたのだった。
(終わり)
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