「帰属感」をもう少し平たい表現へ移すとすれば、
「ここに居てもいいんだよ」と学校が、私へ両腕を開いてくれているとでもなろうか。
そして、こちらは、
“学校”を形成する要素を思うままに享受することができるのだった。
――踏みしめる廊下とバスケット・シューズとが、ピタリと呼応し合う。
今や感動にまで高まろうとしていたそうした感触も、
やがて、好むと好まざるとに拘わらず縁が切れる。
ふとある場面が思い浮かべられた。
高三3学期のクラスマッチに際して(3学期に入れば、受験に備えて、こうした課外行事は割愛される)、
私は、ラグビーのライトウィングを担っていた。
我がチームは運よく決勝にまで残り、
さてその試合に挑もうとしている私へ、級友の一人が思い掛けず、
「イケミ、最後のトライをしろ。トライしたら、ジュースをおごる」。
彼はクラス内で最も成績の良い一人で、その意味で私と縁遠いはずなのだが、
なぜだか私へ幾らか好感を抱いてくれているのが普段から感じ取られていた。
その声掛けに、「どうせ出来はしまい」との皮肉も含まれていなくはないようだったが、
鼓舞されもしたのは確かだ。
決勝戦の後半に入って、パスを回しながらこちらのゴールへ迫って来た相手側の一人が
ノックオン(ボールを前に落とす)の反則を犯したのを逆手に取って、
私は独走状態に入り、そのままトライに成功、
友人がコインを挿入した学食の自販機からの冷たいジュースを、一気に飲み干しながら、
内心私は、
「我ら、ここに有り」、と高らかに一体感を謳歌していた。
つい先日、高校の同窓会の、私の所属していた学年の担当者から、
同学年の、氏名のみの名簿がメール送信されて来た。
その名簿の意味するところは、いわば生存確認といって良いだろうか。
氏名の上に黄色の重ねられたのは不明者(現在、連絡の取れない者)、
そして青色の重ねられたのは物故者だ。
判明しているだけでも、物故者なんと61名(560名余の内)。
その数は、予てからの漠然たる憶測に数倍していた。
時の流れに感傷するのでなく、
身体はカタチあるものゆえに、いつか必ず消滅する道理を思う。
それに対し、カタチのない“帰属感”は永遠だ
――61名は、今もなお、我とともに有り。
(終わり) |