『スピノザと十九世紀フランス』という論考を購入し、
それによってフローベルが、スピノザの汎神論の影響下で
晩年の未完の大作『ブラヴァルとぺキッシュ』へ向かっていたと知り、
中断していた、ドキュメント風の小説、『フローベルの鸚鵡』を再び開く。
偶々、アレクサンドル・デュマ(『三銃士』の作者)が、
プロイセン帝皇后付きの料理長に指南されたという、
モスクワ風の熊の手の料理法が引用されていた。
大変な手間だ。
これは、フローベルが“熊”を自称していたことからの
作者、ジュリアン・バーンズの連想。
熊の手は、昔から中国でも珍重されてきており、
私も中国古代史か何かで「熊掌(ゆうしょう)」という単語を見掛けた覚えがある。
スピノザは殊更美食家というのではなかったが、
おいしい料理やよい音楽・演劇など、
こころ・身体を喜ばせる要素を広く推奨している。
人間の現実的本質(コナトゥス――自分の存在に固執しようとする努力)の働きを
促進するからだという。 |