モンテヴェルディ(1567〜1643)作、『聖母マリアの夕べの祈り』という曲目への初認識は、
20歳前後、レコード雑誌の推薦盤の一つとして挙げられていたことによって(当時はまだLPレコードの全盛期)。
その曲自体を味わいたいというのがもちろん第一だが、
その他いくつかの動機から、私は、カートンボックス入りLP3枚組の入手を猛烈に望んだのだが、
自らの稼ぎもない若造にとって、当時の6600円の価は重きに過ぎた。
それから長い長い時を経て、今から10年ほど前、ようやく2枚組のCDで購入したものの、
曾ての情熱が伴っていず、ヒルデガルトの曲に触発されるまで未聴のまま放置していたわけだ。
LP、CDそれぞれの指揮者は別人だが、ともに、宗教曲の権威として世界的に名を知れた存在。
生憎、今、前者の名前を思い出せないが、ともかくそのスイス在の大物を、
どういう手蔓を得られたのやら、私の友人がチェロ群の一翼を担う、東京のアマチュアオーケストラが招聘することに成功した。
演奏曲目はメンデルスゾーンの宗教曲(これもCDに収録すれば2枚分の大曲)『エリア(救世主)』。
リハーサルはもちろん、演奏会さえ私は見聞したわけではないが、
その指揮者との初対面から、団員たちが胸躍らせたであろうことは、友人からの伝聞をまつまでもなく容易に想像できた。
我が国内外のローカルな指揮者を見下すつもりは毛頭ないが、
“世界的”という以上、指揮法のみならず、教養全般の幅・奥行き、
そして人格、というか人としての存在感・魅力において一頭他に抜きんでているわけで――。
一挙手一投足が団員を魅了し、さては高揚させたであろうと思われる。
そしてそれは、演奏会へ向けて白熱の度合いを増し、そこにおいて最高潮に達するのは自然の成り行きというものだろう。
演奏会後の打ち上げにおいて、友人の言にれば、
すべての団員が実力以上の性向に酔い痴(し)れ、
そこへと導いてくれた指揮者の技量を人格の大きさとを賛美してやまなかったと。
こうした華々しい経験は、更にも団員たちを、その後の演奏活動へと打ち込ませるようではないか。
ところが、演奏会から半年と経たぬ内、オーケストラは解散してしまった。
団員の誰もが、二度とあのような演奏の高みに達することの不可能を痛感するに至ったのだ。
練習に励むどころでない。
別様の表現をすれば、彼らは“燃え尽き”たのだ。
チェロ弾きの友人は、独身を通し、現在、年齢相応の持病を抱えつつ、
専ら聴く側としてクラシック音楽を伴侶としつつ、静かに暮らしている
――彼にとっての音楽は、本来、そういう質のものだと思う。
モンテヴェルディの作品と、私との相性はあまり良好とはいえない。
オーケストラの伴奏つき、4名の声楽のソリストが混声合唱団、少年合唱団を先導するという規模の大きな陣容は、
当然ながら華麗な装いをまとって展開される。
それより私は、宗教曲ならば今後も、ア・カペラ(無伴奏)の独唱・重唱からなるヒルデガルトのアルバムや、
〈ドイツ音楽の父〉と呼ばれる、やはりア・カペラのハインリッヒ・シュッツ(1585〜1672)の合唱曲やオラトリオ、
また、バッハ(1685〜1750)の諸作へより多く手を伸ばすだろう。 |