△△△社交的だった電監人△△△ 昭和30年の町行政区は25区。事業所=行政区は「監視局」以外に「病院」「高千穂」 と「三病院(注)」の4区。 電監は60世帯、200人前後の官舎居住者と通勤組家族の相互交流が頻繁でした。官 舎一室にはテレビがあり力道山のプロレス中継を父のバイクに乗って見に行ったり、運動 会《8383》、古賀海岸の海水浴、平和台ナイターバス観戦など。 電監の大人たちは文化スポーツで周囲の地域住人たちとの交流を広げていました。 (注)福寿園、清光園、福岡療養所(古賀町誌77P)