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では、リレー中継のうち記録のある主なものを紹介します。
13:30 〜 13:50 日食実況開始(女満別、中村アナ) 「鶏の声も除夜の一番鶏のように伴奏をやっている。ここでは始っていないが、月の黒い影は今頃シベリア〜」というニュースも生きていた。「女満別、いまは晴れて地平線上に低く浮雲が散っているだけ。この臨時放送所から見える、東京天文台早乙女班の観測所には、周りに幕が張ってあり、ただ博士の白い帽子の動くのがみえています」と言ったのも印象的だった。思わず拍手を送った」(『放送』の中の、「日食放送を聴く」野尻抱影、以下野尻と省略)
14:10 〜 東京からニュース、アマチュアの観測上の注意、木漏れ日の太陽のことなどを放送
14:21 〜 リレー放送開始。各1分30秒。鹿児島(斎藤アナ)、熊本(長倉アナ)、長崎(石井アナ) 、福岡(柴田アナ)、小倉(増井アナ)、松江(藤井アナ)、広島(原岡アナ)、高知(村山アナ)
「鹿児島から、熊本、長崎とそれぞれ欠け具合、天候、気温、風速等を報告していく。福岡のアナが、最初の鹿児島から北へ約何百キロ、とやったのは気が利いていた」。(野尻)
14時35分、徳島局屋上で日食像投影器を前に放送中の伊達アナウンサーの写真が『放送』にあります。
「近くの女学校のどよめきを入れ、ここから近い海が光って見えます」と言ったのは高く買いたい(野尻)
14:39 〜 14:40 大阪(井上アナウンサー)
「新築中の放送会館では、いまアナ君が汗だくで実況放送の真最中だ」「井上アナが大手前に新築の放送会館屋上で、日食下の大阪を見事にスケッチした」と、6月20日大阪朝日夕刊2面に紹介されています。
14:58 〜 14:59 東京(中村アナウンサー)
「静岡まで来ると雨になった。私は、「北海道さえ快晴なら」とつぶやいた。子供たちの声がして庭に出てみると、流れていく雲の切れ目から時々淡い太陽が見えて、七分ほど欠けていた。ラヂオが東京でも見えています、と叫んでいた」(放送、野尻)
東京では場所によって、見えたり曇ったりしていたようだ。6月20日付読売新聞夕刊には、14時45分銀座路上で望遠鏡で部分日食を観測する写真が掲載されています。次はいよいよ、女満別から三浦アナウンサーの放送です。
6月20日大阪朝日新聞夕刊1面ではラジオ中継の放送内容がこのように掲載されています。「午後三時二十一分段々と太陽は見えなくなった。点々々、何か輝くものが見えているばかり外側のコロナは八方にのび、その中に内側の何とも言えない美しいコロナ、四か所から美しい金属性の神秘な光をはなっている。真黒な太陽のほとりにダイヤモンドのような光が見え、外側のコロナは消え、内側のコロナだけダイヤモンドのように美しく輝いている。段々と西側から太陽が見え出してきました」。
羅時魚を聴いていた、野尻抱影は「コロナが見え出しました。右下に金星が光っています。いつもよりは白く見えます。コロナの色を何と申しますか、青でなく、紫でなく〜」三浦氏が形容に迷っていたのもあの場合満点である、と評価しています。
本当にすごいぞNHK,そして小森幸正先生。とりあえずこれにて、この話題はお開きとさせて頂きます。放送中の写真が掲載された、1938(昭和13)年5月10日発行の『子供の天文学』,1936(昭和11)年6月20日大阪朝日新聞号外。
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