それで秋葉原の古書探し、図書館の資料漁り、などなど真剣に調べていくうちに、さらにDeepなものを見つけるんですよね。それが軽便鉄道、森林鉄道・町営軌道なんていういわゆる「ナロー」ってやつです。もうド・ストライクでした。寝ても覚めてもナローになりました。でもね、これがないんですよ。ほとんど廃線。手の届かないとこにいることを知るんですな。それでもあきらめきれず、かき集めようとするんですが、どんどんこぼれ落ちていくんですな。これが虚しくて悲しくて。生まれの遅さをどれほど恨んだことか。草軽は生まれる前だから、まだ仕方ないとしても。(でも1年前だけど・・・。)せめて井笠・頸城くらいは、間に合わなかったものかと。田舎がこの沿線の人なら、撮影は叶わなくても、見ることはできたのではと。運命は過酷だな。そんなことばかり考えておりました。思えば、EF57から私の撮影人生は、後手後手に回る後悔の連続でした。木曽森林にしても、私が北恵那鉄道廃線跡に行った頃、奥の方でまだ稼働車が何やら怪しく動いていたのを後から知ることになるし、何と言っても、助六のカットを見た時の衝撃ときたら・・・。手の届く、あとわずかなところで出会えなかった壮絶な光景に、私は悶絶する日々を過ごすのでした。
あの代わりは今もなかったけれど、立山砂防とか、残っててくれてほんとよかった。
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