昔の写真  15
by 管理人 at 2026/2/6(金) 15:04:24 No.20260206142201  削除コメント
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 いろいろ後悔したことで、情報を集め、写真を見て、現地を見に行き、動画をあさる。すると人のつまらなかった写真でさえ、映ってない周りの風景が見えるようになって、その写真が俄然生きたものになってくる。「あぁ、この画面の端を左折すると、本屋があったなぁ・・・、漫画買って電車を待ったっけ。」
 そんな空想にうつつを抜かしていると。時折、コンマ何秒だか、「あれ、今俺。写真の向こうに行ってたよね・・・。」そんな感覚さえ訪れることがある。それはそれはおかしな話。もしかすると、人間の脳というのは、その半分以上稼働してないというから、案外Time Machineというものは頭の中にあって、修練を積むことで時間旅行を演出できるようになるんではないだろうか。山下清画伯などは、あの緻密な風景を、写真を撮ることなく旅から帰り、一気に書き上げたというし。自分は人間そんなに大差ないと思っていたが、見ている風景や、思い出す記憶なんか、まるで今見ているように鮮明な人がいるのではないだろうか。私などは、まるで深い霧の中にいるような、曖昧な記憶回路なので、写真に頼らざるえないのだけれど。そんな高精細な記憶回路を持った人なら、時間旅行は簡単なわけで、私などよりはるかに長時間旅行を楽しめるようになるのだ。もしかすると世にある失踪事件というのも、その一部は、そうした時間旅行の入り口を掴んだ人が、本当に新たなる世界へ、行ってしまったのかもしれない。だとすれば私も頑張らなければ・・・。
 総じて思うことは、この充足感はどこからくるものなんだろうか。ということなんである。未だに所在不明の心というものの中に、見た・見ない。行った、行かない。のYes・Noスイッチがあって、記憶が管理されていて、満足したり、大後悔したりしている。では、今回のように出会えなかった風景を、やっと手に入れて、似たような風景で充足感を得られるということは、水の満たされるコップのように、ある時自動的に切り替わるんだろうか。私が手に入れた充足感は、今までにない、この上なく満たされたものであった。
 だとすれば、この先一番良い方法がある。それはボケてしまうということなのだ。Yes・Noスイッチを自ら壊してしまい。今までかきあつめた情報で、行ったことにしてしまう。「わしゃ、根室拓殖にいったことがある。途中で動かなくなったチドリを後ろから押したんじゃぁ・・・。」
「草軽も行ったことあるのぉ、車庫を見学させてもらって、ボロボロのデキを見つけた。あれが幻の12号だったんじゃなぁ・・・。」
それからゴナナにはまり、ゴハチに流れた。ゴハチは全機撮ったのぉ&%2312316;。」ぼけてぼけまくって、満面の笑顔で此の世を去るのである。きっととても幸せであろう。
これが私の正解。


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