もう相当以前に「ガングロ」と呼ばれるギャルが流行したことがある。
顔に黒っぽいファンデーションを塗り、目のまわりに白い線を入れる、
まるでニューギニア高地人のようだ。
そんな彼女たちが渋谷や原宿の街中を徘徊する姿をテレビで眺めていたものだが、
特段の感想などはなかった。
ところがある日、テレビでしかお目にかかったことのない「ガングロギャル」二名が
江別神社にやって来たのだ。
そして社務所でお守りを物色している。
いわゆる普通の身につける肌守りを指さして
ギャルが「これは何のお守りですか?」と尋ねるので「肌守りです」と答えると
「わー進っんでるー」「お肌を守ってくれるお守りって、あるんだ」とうけた。
ギャルたちの明るく朗らかで屈託なく笑う姿に、女房も私もあっ気にとられたが、
彼女たちは礼儀正しく、生意気でツッパった感じは全くなかった。
当時流行中のガングロギャルが何故、こんな田舎の神社にお参りに来たのか不思議で
ならなかったが、本物のガングロギャルにお目にかかれた新鮮な経験は今も忘れない。
それからまた暫くして女房と二人で上京し、ホテルのエレベーターに乗った時、
一人のガングロギャルが駆け込んできた。
そしてエレベーターの戸が閉まり始めた時、今度は外国人が飛び込んできた。
白人の外国人はエレベーターの戸を開けたギャルに「サンキュー」と礼を言ったあと、
英語で何か話しかけ始めたが、私には全然聞き取れない。
するとギャルはとても流暢で早口の英語で受け答えしているではないか。
「人は見かけによらないものだ」「人を外見で判断してはいけない」
何度も耳にした言葉であるが、この時ほどそれが身に染みたことはなかった。
ガングロギャルの風体からは「ちょっとイカれた娘」というイメージしか浮かばな
かったが、もうこの彼女は「ガングロ様」とお呼びするしかない。
我が人生で通算三人のガングロギャルに遭遇した。
どの娘も外見とは違って、ちゃんと挨拶のできる常識ある「ガングロ様」たちであった。
今頃は中年のおばさんに成長されているだろうが、母となり我が子に
「人間の本質を見極められるような躾」を施されているのではないだろうか。 |