事実は小説よりも奇なりと言いますが、会社員時代には様々な経験をし、お客さんからも面白い話を沢山聞きました。表現力があれば、小説を何冊も書けたのにと残念です。その内の一つを簡単に紹介します。
取引先の役員が、丸亀高校出身なら北山さんを知りませんかと聞くのです。同級生に北山直というのがいると答えると、私は北山さんの叔父さんに育てられましたと言うのです。北山直氏の叔父さんは大正13年丸亀中学第28回卒業の北山怛氏です。怛氏とその人(A氏)のお父さんは岡山第六高等学校柔道部時代からの同級生です。2人とも東大を出て、Aさんのお父さんは医者になり、怛氏は日本窒素肥料(現チッソ)に入社しました。Aさんのお母さんはお姉さんとAさんを産んで間もなく亡くなり、お父さんも若くして亡くなりました。怛氏は親友の子供二人を引き取り、自分の子供と一緒に育てました。太平洋戦争になり、招集された怛氏は敗戦に伴いソ連に抑留されました。しかし、怛氏は数人の部下と一緒に脱走しいち早く帰国しました。会社では、復員が遅れたり、公職追放で上層部には人が殆どいませんでした。そこで、怛氏は昭和22年に41歳で社長に就任しました。5年後、公職追放解除となった16年先輩に社長を譲り自分は副社長になり、最後は相談役で退社しました。その間、我が子同様に育てられたA氏姉弟は大学教育まで受けさせて貰い立派な会社に就職することが出来たのです。
我が丸高にこんな凄い先輩がいたのです。
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