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かつて、3人の五輪金メダリストを生むなど、名門として知られた柔道私塾「講道学舎」がありました。バルセロナ五輪の古賀俊彦、古田秀彦、シドニー五輪の滝本誠などの金メダリストを始めとして、世界選手権のメダリストも多数輩出し、全国からエリート柔道家の卵が集う場所として知られていました。私が、銀行時代に八重洲通支店に勤務していた時の取引先企業の社長がその設立者でした。社長の名は横地治男と言います。
左側写真の二子山相撲協会理事長(初代若乃花)の左隣の人が横地氏です。1990年(平成2年)9月の横綱旭富士昇進記念祝賀会に出席した時のものです。
横地氏は1912年(大正元年)生まれで、当時は79歳でした。旧満州国建国に携わったそうで、政財界に多数の友人がいました。その代表的な人に旧三井銀行社長小山五郎氏がいます。小山氏とは一緒に昭和天皇に拝謁する間柄でした。社長室には小山氏が昭和天皇に献上した油絵の複製が架けられていました。リッカーミシン破綻時には破産管財人を務めました。
日本相撲協会顧問の他に日本柔道協会顧問も務めていました。柔道を通じて作家の井上靖氏とも親交があったそうです。2007年横地氏が亡くなった後、協賛企業からの支援が減少し、2012年に講道学舎は消滅しました。
写真では和服を着ていますが、日常は孫文や毛沢東などが着ていた人民服(中山服)を着ていました。彼の接待には女子大生コンパニオンを呼ぶのがきまりでした。一度副頭取と接待しましたが、左右にコンパ二オンを侍らせ、両手でコンパニオンの手を握りながら副頭取と話をしていたのを思い出します。今時こんなことをする社長はいないでしょう。30年前の話です。
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