43年前に佐倉の地に居を構えました。先日、香川県の実家は誰も住まないので処分しました。もう、私の帰るところは今住んでいる此処しかありません。
千葉は好きではありませんでしたが、関東で家を持てばどこにでも移せると考え取りあえず買いました。1の写真が現在の我が町の全景です。(bQはbPの上半分、bRは50年前の全景、bSは自宅近くのモノレール駅)。ここに、佐倉市の人口17万人の1割が住んでいます。入居時には、写真の上半分の三分の二程度造成完了し、数十戸家が建っているだけでした。建設業者は元々関西の繊維会社でしたが、売上代金で不動産を入手したことから不動産業を手がけるようになり、現在では不動産業が本業になりました。
しかし、当初から遠大な計画を持っていて、この時点で造成区域内に二つの小学校と、一つの中学校を建設してゼムピンまで揃えて佐倉市に譲渡したそうです。最初は他の不動産会社と提携して毎年数百戸単位で販売しましたが、その後は自社開発のみとし、現在では毎年100戸の販売に限定しています。43年経ってもこの団地は成長を続けています。販売開始数年後に成田街道に接している入り口地点に新駅を建設して京成電鉄に譲渡し、その後新駅から団地内を循環するモノレールを完成させました。
最初は戸建のみでしたが、新駅完成に伴い高層マンションと低層マンション、商業施設、ホテル等を組み合わせた駅前開発をしました。開発会社は当初日本橋にありましたが、新駅周辺に移りました。電波障害対策として有線放送局を開設、次に保育所、近年では入居者の高齢化対策として介護施設を建設し、現在では殆どのことが団地内で事足りるようになりました。また、高齢化、家族構成の変化に対応して、戸建からマンションへの移住勧奨、戸建買取後のリフォーム、または新築による若年入居者募集を進めています。このため、他の団地のような一挙の高齢化が緩和され、古い団地にしては平均年齢が低い住宅地となっています。この点が注目され、何度か報道されました。
この地に来た時の思惑と異なり、住環境だけでなく、多くの隣人、友人に恵まれ、今や正に「人間至るところ青山あり」の心境です。
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