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by kagawa at 2024/1/23(火) 08:19:07 No.20240123075719  削除コメント
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1/20は冬の最後の二十四節気「大寒」の入りでした。霜が、降る寒い朝が続いています。 

 寒さの中、凛とした姿の梅(紅白)の花が、咲いていたます。

「ウメ」(梅 学名 Prunvs mume    英名 Japanese apricot 別名 「ウンメ(鹿児島)」「ンメ」(鹿児島、熊本、

高知、秋田))     バラ科サクラ属の中国原産の落葉小高木。 1〜3月に、紅や白の花を咲かせる。      

日本伝来は、諸説ある。・弥生時代(BC3-AD3)に、朝鮮半島経由で伝来。 ・遣唐使が持ち帰った。 ・奈良時代に薬

木としてもたらされた。    

  花見の習慣は、奈良時代に形成され、対象は梅の花だった。貴族達が、中国から伝来した梅の花をみながら、歌を

む会が開かれたのが、花見の原型とされる。今のように酒を呑み交わし花を見るのでなく、花を愛でることを楽しんでいた。   

 「ウメ」(梅 学名 Prunvs mume    英名 Japanese apricot 別名 「ウンメ(鹿児島)」「ンメ」(鹿児島、熊

本、高知、秋田))     バラ科サクラ属の中国原産の落葉小高木。 1〜3月に、紅や白の花を咲かせる。      

日本伝来は、諸説ある。 ・弥生時代(BC3-AD3)に、朝鮮半島経由で伝来。 ・遣唐使が持ち帰った。 ・奈良時代に薬

木としてもたらされた。      花見の習慣は、奈良時代に形成され、対象は梅の花だった。貴族達が、中国から

伝来した梅の花をみながら、歌を読む会が開かれたのが、花見の原型とされる。今のように酒を呑み交わし花を見るの

でなく、花を愛でることを楽しんでいた。    万葉集にも桜より梅を詠んだ歌の方が多い。 平安時代、嵯峨天皇

のころから、花見の花は、桜(日本の在来線)に変化している。            和名ウメの語源も諸説ある・

中国語の梅(マイ ムイ メイ)を、日本的に発音して「ウメ」とした。  ・韓国語の「マイ」が転訛 ・漢方薬の烏梅(ウメイ)が転訛など。          

 花言葉 梅全体の花言葉は「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」。 上品・高潔は 梅の花の最盛期が、寒さ厳しい時

期のため、凛と咲きほこる姿から。 忍耐・忠実は、菅原道真に由来。      紅白の花色で、花言葉は異なる。 

紅梅…「あでやかさ」(紅色の美しく、華やかな姿から)  白梅…「気品」(紅花に比べ、凛とした姿から)          

 ・梅にまつわる言葉…「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」(栽培上の注意)「桃栗三年、柿八年、柚(ゆず)の大

馬鹿十八年、梅はスイスイ十六年」((種蒔きから収穫迄の期間指す俚謡(りよう))%3d「物事は簡単でなく、一人前

になるには、地道な努力と忍耐力が必要」と言う教訓。           

 大宰府長官の大伴旅人の邸宅の宴で、梅が詠まれた歌。この歌が「令和」の出典となっている。「初春の令月(れい

げつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわらき) 梅は鏡(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭ははい後の香を薫(かお)らす」 この「令月」と「風和」から「令和」とした。          

 飛梅伝説の歌 「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花  
 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」(菅原道真)      万葉集 「わが...

ウメ」(梅 学名 Prunvs mume    英名 Japanese apricot 別名 「ウンメ(鹿児島)」「ンメ」(鹿児島、熊本、高

知、秋田))     バラ科サクラ属の中国原産の落葉小高木。 1〜3月に、紅や白の花を咲かせる。     
 
日本伝来は、諸説ある。 ・弥生時代(BC3-AD3)に、朝鮮半島経由で伝来。 ・遣唐使が持ち帰った。 ・奈良時代に

薬木としてもたらされた。      花見の習慣は、奈良時代に形成され、対象は梅の花だった。貴族達が、中国か

ら伝来した梅の花をみながら、歌を読む会が開かれたのが、花見の原型とされる。今のように酒を呑み交わし花を見る
のでなく、花を愛でることを楽しんでいた。   

 万葉集にも桜より梅を詠んだ歌の方が多い。 平安時代、嵯峨天皇のころから、花見の花は、桜(日本の在来線)に変化している。            

和名ウメの語源も諸説ある。・中国語の梅(マイ ムイ メイ)を、日本的に発音して


「ウメ」とした。  ・韓国語の「マイ」が転訛 ・漢方薬の烏梅(ウメイ)が転訛など。           花言葉 

梅全体の花言葉は「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」。 上品・高潔は 梅の花の最盛期が、寒さ厳しい時期のため、

凛と咲きほこる姿から。 忍耐・忠実は、菅原道真に由来。      紅白の花色で、花言葉は異なる。 紅梅…

「あでやかさ」(紅色の美しく、華やかな姿から)  白梅…「気品」(紅花に比べ、凛とした姿から)            ・梅にまつわる言葉…「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」(栽培上の注意)「桃栗三

年、柿八年、柚(ゆず)の大馬鹿十八年、梅はスイスイ十六年」((種蒔きから収穫迄の期間指す俚謡(りよう))%3d

「物事は簡単でなく、一人前になるには、地道な努力と忍耐力が必要」と言う教訓。            大宰府

長官の大伴旅人の邸宅の宴で、梅が詠まれた歌。この歌が「令和」の出典となっている。「初春の令月(れいげつ)にし

て 気淑(きよ)く風和(やわらき) 梅は鏡(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭ははい後の香を薫(かお)らす」 この「令月」と「風和」から「令和」とした。           飛梅伝説の歌 「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花

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