コーリーは脳性麻痺のため車椅子で動き回っているチアリーダーとして人気を集めていた。だがシーズンが終わると、チアリーダーを外され
てしまった。数人のチアリーダーとその親に突き上げられて、来年もチームに加わりたいなら、他の部員と同じように開脚や宙返りといった
体操の規定演技をするように求められた。チアリーダーとして資格を認めるためにはその規定演技ができなければならないのか。それとも
体が不自由な彼女に不公平なのだろうか。よいチアリーダーになるためには開脚や宙返りができないといけないのか、それが観客を鼓舞する
チアリーダーの昔ながらの方法だからとしても。どんな理由で父親は反対運動を始めたのか。おそらく、コーリーが本人の値しない名誉に浴
し、それが娘のチアリーディングの技量に対する彼の誇りを傷つけていることから生じている。優れたチアリーディングが車椅子の上ででき
るとすれば、開脚や宙返りが上手なチアリーダーの名誉の価値は減じてしまう。すでに定まっていた社会的営みの目的とそれに伴う名誉が
コーリーのおかげでチアリーダーになる方法は一つではないと示されたのである。親たちはチアリーディングを通じ、自分の娘たちが持つ
チアリーダーとしての伝統的な美徳を称えてもらいたかったのだ。チアリーダーを巡る騒動はアリストテレスの正義論を要約したものと言
える。正義とは人々に自分に値するものを与えること、一人ひとりに相応しいものを与えることを意味する。笛を配るとしよう。最もよい
笛をもらうべきなのは誰だろうか?アリストテレスの答えは、笛を最も上手に吹く人。
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