みんなの広場「こころのパレット」

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〈動 く〉 引用
池見隆雄 2021/9/6(月)14:10:16 No.20210906140155 削除
 心が動かなくては、どんなささやかな文も綴れない。

 心が動くとは、いったいどういう事態か?
 私は、今のところ、
 「自然は、世界の秩序との関係において、私を生かしている」
 という事実を、
 一瞬間に垣間見る ということではなかろうかと思う。

 昨晩は、断続的に、雷を伴う激しい雨が襲来した。
 一夜明けて、今日は薄曇り。
 ときおり、湿気含みとはいえ、つい先頃に比べれば涼やかといってよい風が、
 北向きの窓から吹き入って来る。

 肌にそれを受ける。
 これば偶然ではない――心が動く。

サッちゃん 引用
hikaru 2021/8/31(火)11:07:44 No.20210831110507 削除
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No.1
  池見さんの文章を読みながら、いっしょに歌ってしまいますね、
♪かわいいね サッちゃん♪
返信(3)を読む 最新返信日:2021/9/3(金)14:54:00

〈体長15センチ、体重22グラム〉 引用
池見隆雄 2021/8/27(金)15:12:29 No.20210827145143 削除
 昨年11月の末に、生後ひと月半で我が家の一員となった
 手乗り文鳥のサスケ。
 その名前は、体格よく活発な雄(オス)との見当に因んだのだが、
 次第に雌だと判明――文鳥の雌雄の見分けは、成長するに従って、
 雄ならば求愛行動やその際の独特の鳴き方を示すことによって初めて可能になる。

 サスケはお転婆さんなので、私自身はその男名のままで抵抗を覚えなかったが、
 家内は、ひと月ほど前から「サッちゃん」を用い始めた。
 なるほど、それは、「サスケ」の愛称たり得るし、
 その音は、どちらかといえば雌を想わせる。

 その内、家内が、サスケの歌(替え歌)をこさえた、
  「サッちゃんはね、サスケというんだほんとはね。
   だけど女の子だから、サスケのことサッちゃんて呼ぶんだよ。
   かわいいね、サッちゃん」

 サスケは自分の名前や愛称が何度も出てくるからでもあろう、
 小首を傾げつつ、じっと聴き入っている。

 家を離れている私に――つまり仕事中であるとか、
 その歌がちょいちょい思い浮かべられる。
 とともに、心の中のどこかに小さな温かな灯が点る。
 家内のサスケへの愛情を、私も共有しているからだろうか?

 子供たちが独立していった我が家の、言葉を伴うコミュニケーションの媒体として、
 家内と私とを線分に譬えるならば、
 サスケが加わることによって、それは、三角形の平面(二次元)へと開かれた。
 
 サスケ、体長15センチ、体重22〜23グラム。

早朝散歩 引用
hikaru 2021/8/21(土)13:10:19 No.20210821124652 削除
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No.1
  昨日まで10日間くらい、雨が降り続きました。
被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。

雨のせいで、いま、例年の暑さはありません。
なかなか体調が調わないのですが、今朝は、早く起きることができ、
マンションの周りの植物の写真を撮りながら、散歩しました。

大雨と感染爆発と、災害列島の中にあり、心を痛めたり、
心配が絶えない時代ですね。
どうぞ皆さま、ご自愛ください。

自分でも、祈るような気持ちで、毎日を過ごしています。


返信(2)を読む 最新返信日:2021/8/24(火)10:22:16

〈回 帰〉 引用
池見隆雄 2021/8/20(金)13:30:17 No.20210820131251 削除
 このところ、メールなど、
 どなたかからの音信(おとずれ)があればそれへ応ずることはできでも、
 自発的に文を綴ることが難しい。
 というより、海たる内面が凪いでいる。

 こればかりは自然の勢いであるから、
 私は待つより他の術(すべ)を持たない。
 ――自発的な表現とは、
 能動に受動が加味されたもの(あるいはその逆)にも思えてくるが、
 「中動態」の動詞とは、根底において、正に自然の勢いを表しているという。
 例えば、日本語の、「(昔が)偲ばれる」、「憧れる」など。

 “海”にまた、必ず、うねりが戻ってくる。

 昨今、蝉たちの歌も途絶えがち。
 いつの間にか夏も、明年に備えて、輝きを収めつつある。

〈Uさんへの返信〉 引用
池見隆雄 2021/8/12(木)15:07:04 No.20210812144317 削除
 Uさん、返信、ありがとうございます。
 「反出生主義」ともいうべき特集が組まれていたのですね。
 
 ところで、私たち日本人に馴染み深い仏教ならば、
 「大乗仏教」ということになるでしょう。
 そこには、私の管見によれば、
 ほとんどそういう主義は見られないように思います。
 
 「原始仏教」(根本仏教)には、
 輪廻の鎖を断ち切って最早この世に生まれないという姿が、
 修業の完成として少なからず示されていたと思いますが。

 しかし、それが、ブッダの教説に含まれるものかどうかは、
 確証がないようですね。
 ブッダの言葉として私に最も印象深いのは、
 成道後、初めて発したといわれている、「われ不死を得たり」という宣言です。

 私などには、もちろん、その真意は汲み取れません。
 ただ、そこに、
 「反出生主義」といった色合いを感じ取るのは難しいように思います。

 当今のUさんの心境、生活感情には、そういう行き方がなじむのでしょうか?

 私も、私なりに、あまたの苦しみをなめてきました。
 ここまで苦しむかと世を恨み、人を恨み、己を恨みたくなることもありました
 ――過去形で済ませられはしませんが。

 が、その最中においても、自分の奥の奥から聞こえてくるのは、
 「生きたい!」という叫びに他なりません。
 何か具体的なもの、言葉を求めてでなく、そうでなく、
 ただ無条件の「生きたい」という抑えがたい衝動です。

 人は、自ら意図して「苦」を求めはしないと私は確信するわけですが、
 では何故、「生」を求めてやまないのか?
 それが、不死の喜びに、しっかり根を下しているからだと思います。

 Uさんから返信が届き、それへ応答できるのも、私の喜びです。
 

返信(4)を読む 最新返信日:2021/8/18(水)13:46:49

〈よろこび〉 引用
池見隆雄 2021/7/30(金)11:22:39 No.20210730110734 削除
 神谷美恵子さんの著作の中に、
 生まれてきたこと自体がよろこびであり、
 そうと感じられることが生き甲斐である
 との表現があるということを、別の人の手に成る冊子によって知った。
 
 私は、即座に、その通りに違いないと納得した。
 いったい、それに優るどんな生き甲斐があるというのだろう?

 数年前の、秋の3泊グループにおいて、ふいに私の内奥から、
 「生まれて来てよかったね」
 という震撼と言葉とが突き上げてきたという出来事について、
 「心のパレット」に何度か書き込ませて貰ったように思うけれど、
 「いったい何が “よかった” なのだろう」
 と 心に掛かりながら解答を得られないで来たところへ、
 前述の表現に遭遇して、
 「生きることそれ自体がよろこびなのだから  
  生まれてきたよかったのだ」 と。

 無条件のよろこびに優るよろこびがあるだろうか!?
返信(1)を読む 最新返信日:2021/8/11(水)00:04:41

〈促 し〉 引用
池見隆雄 2021/8/4(水)14:45:06 No.20210804142852 削除
 今週の日曜にも、私たちにとって馴染み深い、
 大野城市内の大佐野山(標高333mの低山)を目指す。
 頂上の気温25度――下界はその日、29〜34度。

 暑気と、朝方激しい雷雨に見舞われるというコンディションのせいもあってか、
 他に人影は見当たらない。
 尾根伝いの涼風を身に受けながら、弁当を開く。

 足元の蟻たちへも、ご飯粒のお裾分け。
 食物を巣穴まで運搬しようとの、彼らの必然―天性に添った仕事の
 隙のなさ、柔軟さに気を取られるあまり、
 こちらの食欲を忘れがち。

 誰かの、「必然と自由とは矛盾しない」
 また、「神(自然)の意図に叶うことこそ幸福の至極である」
 といった、思惟の成果が思い出される。

 そうそう、ほぼ毎休日ごとに山を目指す私の行動は、
 おそらく必然の促しに添えている。
 故に、満たされて、家路を辿る。

〈戻 る〉 引用
池見隆雄 2021/7/24(土)14:23:49 No.20210724141647 削除
 一昨夜、(協会猫の)イチが、ほぼ2ヶ月ぶりに戻ってきた。
 尤も、好物のササミ(常に冷凍保存している)を鱈腹詰め込むと、
 一息入れるまでもなくまた立ち去って行ったが。

 その日は、イチの一歳上の兄、チビが、
 2年前、病死した当日でもあった。
 イチとともに、チビも戻って来たかのような感慨を覚えたものだ。

 「死者は決して立ち去ることはない、戻って来ないだけだ」
 と 小林秀雄は、
 晩年の大作『本居宣長』の結末近くに刻んでおられるけれど。

〈皆んな〉 引用
池見隆雄 2021/7/22(木)14:38:09 No.20210722142931 削除
 昨日の午後5時前、その日から夏休みというので、
 協会前の公園には、
 常にも増して、子供たちの声が弾けていた。

 エアコンを止め、窓を開けたところで、
 午前中あれほどかまびすしかったクマゼミの声は跡絶え、
 それに代わって、油蝉の方だけが、
 その名の通り油を流すかのような、己の持前を伝えてくる。

 子供たちも蝉たちも、暗くなれば、
 皆んなの家へ帰るのだろう。

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