高校三年生のとき、
それも卒業まで数えられるほど日数を残すのみというある日のこと、
時間帯は午後の始業直前だったか?
私は校舎1階の「化学準備室(化学の教諭の居所)」の前を通り抜けようとしていた。
始業直前だったせいか他に生徒の姿はなく、
三学年合わせれば千五百人以上が犇(ひし)めいている校舎内とは思えない静けさに、
そこは包まれていたと思う。
私の通っていた高校は、確か私の入学時に、
創立百八十周年を迎えるという歴史の長さを誇っていた。
私の在学中の校舎は戦前の築造になるもので、
外壁には至る所、米軍の夜間空襲の目を逃れるために、
コールタールを塗り付けたのが、大方そのまま残っていた。
廊下は四、五枚の厚板を横ざまに合わせて成っていたが、
長年月の手入れの油を満喫して黒光りしていた。
――当時の私たち高校生はほぼ例外なくバスケットシューズを着用していたが、
その程度の足音なら、ほぼ完全に廊下に吸い込まれてしまう。
殊更にそういう前触れがあったわけでもなく、
私の心中に、感覚的に表現するならば、
豊かな温かさが、どこからともなく舞い降りて来た。
それが、歩を進めるごとに私の胸に満ちて行く。
一般的に通用する語を借用するなら、「帰属感」ともいえそうだった。
敷地、校舎、教職員、生徒などの要素から成る“学校”という総体。
それとの関係を具体的足場として、
私は、社会における自分の存在というものを確認できている、
もちろん、家庭その他との関係もそれに劣らないと見るべきだろうが、
私の場合、学校へ、それらより遙かに比重が掛かっていたかと思う。
学業成績へ目を遣れば、私は少しも良い生徒ではなかったが、
友人には恵まれていると思っていたし、
進路はじめ生徒の個人感情に干渉しない校風が、
稀な恩恵と身に沁みていた。
(続く) |
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