江別神社「宮司の独りよがり」

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1091 引用
江別神社宮司 2021/10/7(木)13:35:36 No.20211007133509 削除
 昨日は久方ぶりにお休みを頂き、S路神社のM宮司さんとリハビリを兼ねて、
川へ心の洗濯に行ってきました。

 どこからでも熊が出てきそうな渓流ですが、物凄いポイントを発見いたし
ました。

20p〜28pくらいの虹鱒ちゃんが、1時間半くらいずっと釣れ続けるのです。

二人で50尾くらいも釣ったでしょうか。

もう飽きちゃってポイントを替えたくらいです。

 こんな時に、早世したT歳神社のKちゃんが一緒なら、
3人でもっと百倍も楽しかったな、と思いました。



※画像は相変わらず貼れません。
Re: 1091 (返信1) 引用
江別神社宮司 2021/10/7(木)15:45:23 No.ejinjya-20211007133509.1 削除
ちなみに「1091」とは「入れ食い」と読みます。

明治神宮 遥拝堂 引用
江別神社宮司 2021/10/5(火)12:54:38 No.20211005123906 削除
 昨日の午後、一人の女性が参拝後社務所に立ち寄られました。

その方の垢抜けした服装と醸し出す雰囲気が何となく「普通の女性」ではなく
「どこかでお会いしたことがあるかな」と思っておりましたら、サーカスという
音楽グループのボーカルの一員でした。

3〜4年前に札幌でのコンサート後の自由時間に、目的地も決めずにぶらっと
JRの乗り江別に着き車窓から鳥居が見えたので、江別駅で降りてお参りに
来たのだ、と仰っておりました。

その時に、鳥居をくぐったとたんに「霊気」を感じたと言い、コンサートで
全国を回り、その時々に地元の神社を参拝するが「霊気」を感じたのは
久々だと感想を述べておりました。

今回は二回目の参拝になります。

そしてこのお方の「ただ者ではない」ところは、初めての参拝時に二の鳥居の横の
灯篭に刻まれている「明治神宮 江別遥拝堂」の文字に気がついたことです。

ただの「神社フリーク」ではありません。

正直に言って、ここで産湯につかい、ここで育ち、宮司職にある私なのに
彼女に「明治神宮とは何か関係がおありなのですか」と問われるまで
遥拝堂のことは知りませんでした。

本当に「バカタレ」の私です。

明治神宮は大正時代に建立され、きっと江別でも多くの人々がお参りを望んだでしょうが
現在のような交通事情ではありませんので、灯篭を遥拝用に建てたのだと思います。

明治神宮にお参りしたいという「当時の方々の思い」が伝わってきます。


 この日は夕方に整形外科へ行って、膝・肩・肘に合計5本の注射を打っていただく
予定でしたので、江別でのコンサートにはお誘いいただいたにも関わらず、
行くことが叶いませんでした。

次回には参りたいと思っています。



・PCの調子が今いちで写真をUP出来ませんでした。

椎間板ヘルニア 引用
江別神社宮司 2021/6/21(月)20:27:16 No.20210621202633 削除
 実は先月の下旬からずっと体調が思わしくありません。

検査の結果は「椎間板ヘルニア」とのことです。

左下半身が痛くて、酷い時は歩くことも立っていることも出来ません。

この間、掛かり付けの整形外科で治療しておりましたが、この度札幌の病院へ紹介して
頂くことになりました。

この痛みから早く解放されたいので医師から手術と言われれば、そうしようと
思っております。

暫くの間、ご面倒をお掛け致しますが容赦ください。

ガングロ様 引用
江別神社宮司 2021/5/28(金)16:24:07 No.20210528162347 削除
もう相当以前に「ガングロ」と呼ばれるギャルが流行したことがある。

顔に黒っぽいファンデーションを塗り、目のまわりに白い線を入れる、
まるでニューギニア高地人のようだ。

そんな彼女たちが渋谷や原宿の街中を徘徊する姿をテレビで眺めていたものだが、
特段の感想などはなかった。

 ところがある日、テレビでしかお目にかかったことのない「ガングロギャル」二名が
江別神社にやって来たのだ。

そして社務所でお守りを物色している。

いわゆる普通の身につける肌守りを指さして
ギャルが「これは何のお守りですか?」と尋ねるので「肌守りです」と答えると
「わー進っんでるー」「お肌を守ってくれるお守りって、あるんだ」とうけた。

ギャルたちの明るく朗らかで屈託なく笑う姿に、女房も私もあっ気にとられたが、
彼女たちは礼儀正しく、生意気でツッパった感じは全くなかった。

当時流行中のガングロギャルが何故、こんな田舎の神社にお参りに来たのか不思議で
ならなかったが、本物のガングロギャルにお目にかかれた新鮮な経験は今も忘れない。


 それからまた暫くして女房と二人で上京し、ホテルのエレベーターに乗った時、
一人のガングロギャルが駆け込んできた。

そしてエレベーターの戸が閉まり始めた時、今度は外国人が飛び込んできた。

白人の外国人はエレベーターの戸を開けたギャルに「サンキュー」と礼を言ったあと、
英語で何か話しかけ始めたが、私には全然聞き取れない。

するとギャルはとても流暢で早口の英語で受け答えしているではないか。


 「人は見かけによらないものだ」「人を外見で判断してはいけない」
何度も耳にした言葉であるが、この時ほどそれが身に染みたことはなかった。

 ガングロギャルの風体からは「ちょっとイカれた娘」というイメージしか浮かばな
かったが、もうこの彼女は「ガングロ様」とお呼びするしかない。


我が人生で通算三人のガングロギャルに遭遇した。

どの娘も外見とは違って、ちゃんと挨拶のできる常識ある「ガングロ様」たちであった。     


今頃は中年のおばさんに成長されているだろうが、母となり我が子に
「人間の本質を見極められるような躾」を施されているのではないだろうか。

バレンタイン事件 引用
江別神社宮司 2021/2/15(月)08:32:42 No.20210215074605 削除
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No.1
  昨日は「バレンタインデー」でした。

こんなジジイにもいくつかチョコレートが届けられて、嬉しい思いをいたしました。

小生よりも喜んだのは、もちろん女房です。

「バレンタインデー」といえば、高校時代に生まれて初めてチョコレートを
頂きました。

その思い出を拙著に掲載したしましたが、この欄にも載せようと思いました。



・バレンタイン事件

あの日の朝、E別高校普通科に通う17歳のオレは、この日がバレンタインデーであることなどすっかり忘れて、
いつもように学校へ向かった。

玄関で目線よりも少し上の自分の下駄箱を開けると、突然「何か」がオレを襲った。

「何か」はオレの額に当たって、床に落ちた。

額に指をあてると、少し血がついていた。

床にある「何か」に目をやると、それはチョコレートの箱だった。

チョコレート箱には手紙が添えられてあった。

「誰だろう?」オレの胸はドックン、ドックンと高鳴った。

しかしすぐに現実の状況を把握もした。

こんなところを口の軽いクラスメートなんかに見られたら、どれ程からかわれるか分からない。

さいわい周りには誰もいなかった。

オレはすぐさまチョコレートと手紙を征服のポケットに押し込み、教室へ入った。

落ち着かない1時間目の授業が終わってトイレへ駆け込んだ。

手紙を開けてみると、オレと同じ2年生のS業科に通う彼女からのもので、内容は
「以前から好きだった、付き合ってほしい」ときれいな文字で書いてあった。

当時、オレの目線に入ってきている娘だったので、ある意味合点がいった。

何日かして「会って欲しい」と連絡があった。

放課後の薄暗い廊下で、初めて彼女と口をきいた。

何を話したかはよく覚えていない。

緊張して舞い上がっていたのと、これからどうすればいいのか迷っていたので、多分訳の分からないことを
口走っていたはずだ。

17歳の高校生の初々しいはずのデート、お互いの思いが伝わらないもどかしさが残った。

彼女の足元に当たった西陽、そこだけが赤く輝いていた。

あの時オレが欣喜したのはバレンタインデーに誰かからチョコレートを貰ったと言ことに対してであって、
彼女の思いに対してではなかったのだろう。

多分、オレは彼女と真剣に付き合う気持ちはなかったのだ、と思う。

しばらくの間、彼女とは交際している様なしていない様な中途半端な日々が続いた。

そんなある日の放課後、前庭で中学時代からの友人と話をしていると、我々の横を彼女が
通り過ぎた。

彼女はオレに?我々に?一瞥して足早に校門をくぐった。

友人は彼女を見つけるなり「アイツS業科のMというんだ。俺、アイツと付き合いたいと思っている」と
言った。

オレは「彼女はオレと付き合っている」とは言い切れず黙っていた。


秋になって、卒業アルバムの制作委員会が行われた。

製作委員は各クラスから2名が選ばれ、オレのクラスからは男子と女子、彼女のクラスからは上司2名が
委員となっていた。

委員でもないオレは彼女が彼女のクラスの委員であるとは全く知らずに、どういう訳か
第1回の委員会に出席した。

オレのクラスは「委員決め」などということに関して、極めていい加減なクラスだったのだ。

委員会でのオレは彼女に対して冷たかった。

オレのクラスから選ばれたもう一人のお喋りな女子に、彼女とオレのことは絶対に知られたくなかった。

彼女に対し「知らんぷり」を押し通し、とうとう一言も口を利かなかった。

煮え切れない態度のオレに愛想をつかしたのか、オレの友人と付き合い始めたのかは知らない。

彼女の進路も確かめないまま高校を卒業したオレは浪人生活を送ることとなった。

青りんごのような甘酸っぱい香り漂う、青春の1ページが幕を閉じた。


訃報 引用
江別神社宮司 2021/1/14(木)22:16:16 No.20210114214903 削除
 先日、同職で24歳年下の畏友が早世いたしました。

彼は昨年12月下旬に武漢ウイルスに罹患しましたが、2週間ほどで陰性になり
このウイルスを克服しました。

しかしウイルスの検査中に別の重篤な病気が見つかり、ウイルス陰性後はこの病魔と
闘っておりました。

 メールでやり取りして私が「絶対に病魔に負けるなよ!」と送信すると
「必ず復帰します」と返事が返ってきていました。

それなのに病状が急変して、あっと言うまにこの世を去りました。  


 彼が神主になりたての頃、神社庁の総会後の懇親会で、私に酒のお酌に来て
「自分が神主をやっている意義が見出せません」と申しました。

私は「何でそんなこと俺に聞くんだ」と申すと、彼は「内田さんは自分と同じ匂いがする」
と申すではありませんか。

「コイツは面白い男だな」と感じながら付き合いが始まりました。

「意義だの何だのと余計なことをグダグダ考えず黙って3年間宮司さんの言うことを聞いて
神主をやりなさい」「そうすればきっと何かが見えて来る筈だから」

そう言って彼を励ましました。

 その後、彼は自分の神社に「神輿会」作りたいと申すので「全面的に何でも応援するぞ」と言い
一緒に活動を始めました。

お互いに「出稽古」したり、家族バーキューで騒いだり、もう本当に仲良しの神輿会になりました。

彼には「組織が大きくなればなったで、いろいろ問題が出てくるだろうけれど、
決して目を離すな、神輿会の方々とはいっつも一緒にいろ、とアドバイスしておりました。

そんな風に「お互い神輿を盛り上げよう」と頑張っていたのに、どうしてこんなに
残酷で悲しいことが起こるのでしょうか。

悔しくて腹が立って悲しくて溜まりません。

訃報を頂いた夜は、泣いても泣いても涙が溢れ、彼の優しい顔が浮かび上がりました。

 どうしても彼の死が受け入れられず、納得が出来ず、翌日彼に会いに行きました。

黄色くなった顔を見て、またひとしきり泣いて、やっと彼がもう死んだことを受け入れました。

夢枕にも二日連続で登場してくれました、あの世で元気な姿で笑っておりましたので、何だか安心しました。

私も多くの持病を抱えて、それでも何とか騙し騙し頑張って生きているのに、彼が余りにも
あっさりと我々を捨てて逝ってしまうと、何だかこっちまで生きるのが面倒臭くなってきます。

 令和3年も悲しい幕開けです。

辛く悲しいですが、命あるうちは前進するしかないのですね。



信じられません (返信1) 引用
大樹 2021/1/14(木)23:07:33 No.ejinjya-20210114214903.1 削除
江別出身です。宮司さんのつぶやきを時々読ませていただくのを楽しみにしていました。

どなたのことか、わかってしまいました・・・
つい先日まで元気にやり取りをさせていただいていたので本当に信じられません。

勤務している会社が近所にある縁で、昨年7月ころからお付き合いをさせていただいておりました。

今の会社に勤務してから初めて担当させていただいたのが「彼」でしたが、拙い案内だったにもかかわらず本当に助けていただきました。
地元のこと、神社のこと、神職さんたちのこと(江別神社の宮司さんも登場していました)、神輿会のこと、兄弟たちのことを色々とお話ししました。
大変温厚な方でした。とても短いお付き合いでしたが、会社のスタッフ全員にとってかけがえのない大切な方でした。

本当にまだ信じられません。年末年始は忙しいだろうからと、本日夕刻に年始のご挨拶に伺い、そこで訃報をしりました。
すっかり取り乱してしまい、まともな対応もできませんでしたが改めてお別れに伺えたら・・・
そう考えております。

代替わりもあり、ようやく落ち着いてきたとおっしゃっていた矢先に・・・
御霊の平安を心よりお祈りいたします。

Re: 訃報 (返信2) 引用
江別神社宮司 2021/1/15(金)10:55:15 No.ejinjya-20210114214903.2 削除
絶対に復帰すると信じておりましたので、本当にショックです。

師 走 引用
江別神社宮司 2020/12/1(火)08:43:08 No.20201201084257 削除
もう来ちゃったんですね師走、12月が。

あの忌々しい「武漢ウイルス」禍の中で、どうやって正月を乗り切ろうか
考えております。

先日、北海道神社庁からガイドラインが示され、それをもとに江別神社で実施可能な
対応策を行おうとおもいます。

取り敢えず、検温器、消毒液、マスク、フェイスシールド、マウスシールド、シリコン手袋等を
支度しました。

しかし、参拝者すべてに検温するのは無理だし、出来得ることをやるしかないですね。

12月19日の朝刊(道新、読売、朝日、毎日)にチラシを入れて、元旦の参拝をお控えいただき
2日以降の初詣でをお願いします。

また、令和3年より授与所(お札やお守りを受けるところ)の終夜営業はいたしませんので
宜しくお願いいたします。

戦闘開始 引用
江別神社宮司 2020/11/28(土)11:21:51 No.20201128111942 削除
 江別神社の境内は神をまつる聖地である。

地元では古くから「神社山」と呼ばれ、子供たちの遊び場でもあった。

みんな神様に見守られながら雑木林を探検したり、土器を掘ったり、お腹がすけば
木の実を食べたりして薄暗くなるまで遊び呆けた。 

小生にとって「神社山」は自分ちの庭同然なので、本拠地の遊び場であった。

確か小生が小学校の五年生くらいの時、友人といつもの様に境内を見回っていると、
アベックを発見した。

この若い男女、1メートル近くにも伸びた草むらの中で何と「チュッチュ」しているでは
ないか。



 もう五十数年以上も以前の話で、当時の江別は喫茶店やレストランなど若い恋人達が
デートできる場所など、そう多くは無かった時代である。

神社の境内は第一級のデートスポットなのである。



 友人にアイ・コンタクトを送る。

当時の人気番組である「コンバット」のような「戦闘開始」である。

ポケットに玉砂利を忍ばせ、鳥居や灯篭に身を隠しながら敵に向かう。

敵の二人はもう夢中になって「チュッチュ」しているので我々に気がつかない。

数メートルまで近づき手りゅう弾ならぬ玉砂利を投げつけ、再び身を隠す。

もうまるで「チェックメイトキングツー、チェックメイトキングツー、こちらホワイトロック、どうぞ」
といった戦闘状態で、サンダース軍曹になり切っていた。

そして大慌てで逃げ去る敵の後ろ姿に、勝利の雄叫びをあげる小学生であった。



 あれから何十年も経つが、今でもこの聖地は恋人たちを引き付けるのだろうか。

黄昏時、若い男女が肩を寄せ合うシーンを度々目にする。

もちろん、今はもう玉砂利を投げつけたりはしない。

ため息 引用
江別神社宮司 2020/11/25(水)12:35:48 No.20201125123536 削除
 昨日もボロ負けでした。

1安打じゃあ、どうにもなりませんね。

これで3連敗、昨年の日本シリーズも4連敗でしたので、何とSBに7連敗です。

しかも手も足も出ない惨敗ですので、これはG軍はTiger horseに陥ります。

何とか今日こそ頑張ってほしいものです。

只でさえ不眠症なのに、腹が立って眠れません。

お知らせ 引用
江別神社宮司 2020/11/24(火)18:59:50 No.20201124185910 削除
江別神社みこし会「江神會」の年間行事でありました12月6日の社殿清掃奉仕は
昨今の世情を鑑み、中止となりましたのでお知らせ申し上げます。

尚、組頭の方は担当組員に周知頂きます様、よろしくお願いいたします。

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