みんなの広場「こころのパレット」

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〈雲 へ〉 引用
池見隆雄 2022/8/17(水)15:06:43 No.20220817150516 削除
 見飽きもせず
   雲の峰
    雲の谷

〈言 葉 A〉 引用
池見隆雄 2022/8/16(火)13:54:37 No.20220816134139 削除
 「自然学の提唱」よりの、昨日の引用のみでは、ピンとこない方もおられるかもしれないので、
 そこを敷衍していると私に思われる箇所も引用しておこう、

  「もしもこの地球上の生物が、いろいろな星から移住してきたもの、
   すなわち起原を異にしたものの寄合い世帯であったならば、
   私もその間で闘争の起こる可能性を認めないとはいわないだろう。
   しかし、もとは一つのものから分化発展したものとみるならば、
   その部分同士のあいだに闘争がおこると考えることは、
   有機体論者の立場からでなくとも、まったくおかしい、
   考えにくいことでなければならない。」

 この箇所でもやはり、私は、身震いしかけた。
 その反応の同質性によって、昨日と今日の引用箇所の対応関係が、
 私自身には納得される。 

 

 

〈言 葉〉 引用
池見隆雄 2022/8/15(月)12:33:27 No.20220815122844 削除
 この頃、心に残った――よりリアルな表現にすれば
 身震いしそうになった、言葉。
 今西錦司さん『自然学の提唱』より、

 ――人の上に神なく、人の下に生物なし。

 恐らくこれは、スピノザの思想(直観)へも通じていると思われる。

〈旱 天(かんてん)〉 引用
池見隆雄 2022/8/13(土)14:31:25 No.20220813142758 削除
 どうせなら
  潤い添えよ
    セミ時雨

〈俳句めいて B〉 引用
池見隆雄 2022/8/12(金)15:00:27 No.20220812145732 削除
 この母の子に生まれて良かった、ふと思い

〈俳句めいて A〉 引用
池見隆雄 2022/8/9(火)14:54:36 No.20220809145243 削除
 亡き母と
  共に身に沁む
      蝉の声

〈俳句めいて〉 引用
池見隆雄 2022/8/6(土)13:37:10 No.20220806133527 削除
 蝉鳴きて
  我ならざる日
    暮れんとす

〈不 躾〉 引用
池見隆雄 2022/7/30(土)14:43:42 No.20220730142727 削除
 私の母は大変犬好きだったので、そのためばかりではないが、
 曾ては、種々の犬が、ほとんど途切れることなく我が家に飼われていた。
 ――曾てというのは、私が、結婚して自家を出る前後まで。

 そして、この何年くらいだろうか、私の甥は、自分の祖母に、
 誕生日ごとに、犬の縫いぐるみをプレゼントしていたらしい。
 私はその事実を、葬儀の当日に初めて知った。
 だいたい、二階の母の寝室をでも飾っていたのかその実物を見たこともなかったし。

 仮祭壇が母宅の仏間に設えられたのも葬儀の当日。
 その翌日、祭壇の前に据えられた小机に、大きな耳の垂れた犬の縫いぐるみが、
 前脚を机に置く姿勢で、母の遺影をじっと見つめているのに気付いた。

 甥の仕業と想われる。
 彼の気持ちを、作り物に込めたのだろう。
 その目は、あたかも生けるもののように、潤った表情をたたえている。

 祭壇と縫いぐるみの絡み具合が、一目で私には愛らしく印象付けられ、
 やがて、双方の写真を別に撮影し、横並びにフェイスブックへ投稿しようと意図された。
 翌午前、「母の遺影を見つめるワンちゃん。今月19日、母、他界。享年98」
 という文を付して投稿した。

 十名余の方が、リアクションやコメントを送信して下さった。
 そのどれも、私の母の喪を悼んで下さっている。
 大変ありがたいと共に、私の構図への関心をも感じ取っていただけただろうかという、
 不躾で欲張りな疑心も湧いた。

〈晴れやかに〉 引用
池見隆雄 2022/7/25(月)15:16:34 No.20220725151108 削除
 今月19日、午前5時〜6時の間に、母は息を引き取った。
 確かな時は不明、というのは、そのとき、
 医療関係者、親族の誰も、付き添っていなかったということ。
 「ひとに迷惑を掛けたくない」を最もすばやく念頭に浮かべやすい
 母らしい最期ともいえるか?

 その前日、親族が見舞いに訪れても、目も口も閉じられたままだったという。
 息遣いが多少乱れていたのが、
 親族が歌を歌って上げると、安らかさへ移行したとのこと。
 それを聞いて、私は、遠い昔を思い出した。

 私が幼稚園児の頃だ。
 母が子供向けの歌の本(絵本)を求めてき、手仕事の合間、
 それを眺めやりつつ私に歌って聞かせる、というより楽しんでいるふうだった。
 五線譜も添えられていたので、母は未知の曲でも、
 音符を辿ることによって、直き歌の体(てい)にすることができた
 ――私には魔法のようにも思えたのだった。

 しかし、それ以降、今日まで、母の歌声を聞いたためしがない。
 家庭内の人間関係の難しさや、
 心身医学(後の心療内科)を我が国に根付かせようと躍起になっている父を、
 心身両面でバックアップすることで、
 そんな心のゆとりも、時間のゆとりも持てるはずがなかった。

 人としての軛(くびき)から解き放たれ棺の中へ納められた母へ対していると、
 「歌うように、晴れやかに見送ろう」
 との感慨に捉われる。

 享年98(あと2ヶ月余生き延びていれば99)。

〈大丈夫〉 引用
池見隆雄 2022/7/18(月)14:44:54 No.20220718143347 削除
 先々週の月曜日、私の母が「九州中央病院」の緩和ケア病棟に入院した。
 その数日後、主治医から、
 「あとひと月はもたないと思います。週単位で考えて下さい。」
 と言明された。

 母は今度の9月の誕生日で99歳になる。
 90歳過ぎて癌の手術を3度、それに心臓の手術。
 今度の入院前の腫瘍マーカー値は3,000を超えていた。
 全身に癌が転移していると見て間違いないのだろう。

 面会に出掛ければ、母がその都度弱り、小さくなっているのが見て取れる。
 ほとんど何も、口から食物を摂れなくなりつつある。
 下血のため血圧は下がる。
 胸水、腹水も嵩を増してきたようだ。

 そんなふうに拘わらず、私は、
 ――無条件で大丈夫、と思い定めている。
 これは、母が恢復するということを必ずしも含意していない。
 母と私と力を合わせて、各々の殻を破ろうとでもいうか、
 形のある世界、形のない世界、それらはともに実在なのだと。

 
返信(1)を読む 最新返信日:2022/7/18(月)16:48:22

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