みんなの広場「こころのパレット」

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〈喜 びA〉 引用
池見隆雄 2022/10/18(火)15:57:21 No.20221018150017 削除
 母は、私の幼児期以降、私たちへ対してのみならず、どういう場でも、
 歌を披露するというようなことは決してなく、我が身の慰みのために口ずさみもしなかったと思う。
 家庭内外の入り組んだ人間関係と家事とに追い立てられる、母の生活ぶりを一言に表すとすれば、
 「身を粉にする」、いや「針のむしろ」が相応だったろうか?

 私たち兄妹はそれを日々眼前にしつつ、手出し、手助けできないことに、
 痛切な無力感を覚えさせられたのは事実だ。
 それどころか、妹はまだしも、私は母を、落胆させるばかりであったと思う――
 私は、叔父の言うごとく、悪坊だったし、学生時代を通じて、勉学にいそしむといった姿勢は、ついぞなかった。
 恐らく亡くなるまで、私たち兄妹は、母の心配・心痛の種だったのではなかろうか?

 とこのように記したからといって、
 私は、いわゆる親孝行できなかったことを悔いているのではない。
 そういう感情が皆無とは言わないが、多分にそれはセンチメンタル――表層的だと認知される。

 むしろ、母の一生にせよ、私の今日までの生活にせよ、
 それぞれの存在の、どこか根深い次元で完結していると思える――
 このことは、宗教や何らかの思想に依拠しての言でなく、
 この小文を記しつつ つい今、その見地に落着したといった按配なのだ。

 家内が、結果的には、元々歌・音楽好きの母を、その場の思い付き、思い遣りから歌で見送ることになった、
 と一応はそう見えるけれども、
 それも、母の人生の一貫性の顕れなのだろうと思える。

 あるとき、ある人が私へ、こう語ってくれたことがある、
 「全ての存在の根底には、無条件の喜びが流れています」 と。
 この言の記憶のかけらが、
 私が、母および私自身の生を、ある次元で完結している、とふと思いついた源であるかもしれない。

 その人は、こうも言った、
 「全ての存在は、自然の喜びの表現です」。
 但し、この“自然”とは、私たちの目に映じる自然現象のことではない、
 それらすべて、及び、全ての個物の現存の原因を成す、形のない、唯一の実体としての“自然”なのだ
 ――スピノザの言う、神=自然の後者にも当たるだろう。

 「苦しみ、欲、みえ、学び等々の心は、実のところ、その喜びに包み込まれているのです」。

 私の家内が、病床の母を、歌で包んであげたことを伝えると、その人は、
 「音楽は、音を楽しむと書くでしょう、音楽は喜びの表現なのです」。
 それへ対し私は、
 「遺族代表の挨拶を、私は、たまたま、『歌うように晴れやかに(母を)見送りたいと思います』と結びましたが、
  違和感を覚えた方もおられたかもしれませんが、それはそれで良かったんですね」
 「そうなんです」 力強い応答が返ってきた。

 その人の言明される「喜び」というものを、私は、信じているわけではない。
 ただ、事実と認識している。
 何故そうなのか、と問われるならば、
 その人に直かに対するなり、その人の言に接するなりすると、私は、自(おの)ずからそうなると答えるしかない。
 そして、私にとって、“自ずから”という内面の動きほど、得心の行く羅針盤はない。
                                (終わり)

〈喜 び@〉 引用
池見隆雄 2022/10/5(水)14:17:23 No.20221005134837 削除
 私の母が亡くなる前日(今年7月18日)、
 面会した私の家内が、ほぼ入眠状態のままの母と会話が成り立たず、
 また幾ばくかの呼吸の乱れを感じ取って、「子守歌」など数曲を歌い聞かせることを思い付いたについては、
 前の書き込中に述べていたかもしれない。

 その歌に伴って呼吸が穏やかとなったそうだ。
 恐らくその呼吸のまま、傍らに病棟のスタッフも親族も付き添っていない翌朝の5時〜6時の間、
 母は息を引き取ったと想像したくなるのだが。

 20日の通夜の場で、親族代表の挨拶を担うに当たって、
 私は、そのエピソードを挨拶の内へ取り入れようと思ったのだが、
 そのついでに、私が幼稚園児の頃、母が手仕事の片手間、私や妹へ、
 童話の本を見やりつつ歌ってくれていた記憶が蘇って来た。

 といって、
 歌の題名や母の声音が、どのようであったかは雲を掴むようなのであり、
 歌詞、絵と共に記載されている楽譜を辿って、母にとって未知の曲でも直ぐ歌にしてくれたその手際に、
 まるで魔法を目の当たりするかに、私は、感嘆させられていたのだった。

 つい先日、母の追悼記事を載せた、日本心身医学協会の会報の送呈を受けた叔父(母の実弟)から葉書を受け取り、
 その中に、母が、実家へ里帰りした折、浴場で、私たち相手に童謡を歌っていたことへの言及が見え、
 それと前後して受けた電話でも、そのことと、私たちがキャーキャーと騒ぎ立てて聞くふうではなかったと聞いて、
 私の記憶に、歌う母の姿や歌声の刻印の掛けているのが、腑に落ちるようだった。

 叔父は更に、
 「タカちゃん(私のこと)は悪坊やったもんな」と付け加えた。
                             (続く)

〈誕生日〉 引用
池見隆雄 2022/9/30(金)15:24:11 No.20220930151927 削除
 今年も、母の誕生日が廻ってきた。

 甥が、彼の祖母好みの、モンブラン、及び、
 犬の縫いぐるみ(新たに入手した)を、
 仏前へプレゼント。
 遺影の笑みが、一段と輝きわたる。

 記念の日は、ご当人よりも長生きだ。

〈味 方〉 引用
池見隆雄 2022/9/12(月)15:47:25 No.20220912145323 削除
   (以下の小文中の私の言動を不可解に思われないために、現在の境遇につき、2,3お断わりしておきたい。
    @ 体調が優れず、昨年5月半ばから、仕事場―協会事務局で寝食している。
    A 日頃、テレビ、ラジオは視聴せず、新聞も開かない。
      スマホから得る情報も最小限、というかその方法を会得していない。
    B 近距離ならバイク可。)

 先週月曜夜から翌朝へかけ、福岡は、台風11号に見舞われた。
 しかし、私は、耳栓を装着して就寝する癖があるため、 
 恐らくそれを主因として、暴風の雄叫びをほぼ全く聞いた覚えがない。

 それに加え、南風であったのだけれど、私の就寝していたのは北向きの部屋、
 また庭を挟んで南側に5階建てのマンションが建っているので、
 それが風防の役目を果たしてもくれていたかもしれない。

 午前6時前、起床して窓を開けると、目の前の公園の樹々が、大儀そうに梢を揺らせているのみで、
 一見したところ、景観に前日との差異も認められず、私は、台風は逸(そ)れたものと合点した。

 毎朝の散歩を見合わせなくてもよさそうだ、と服装を調え、庭から表門へ向かおうとするや否や、
 目に捉え難いがたいほど細かな雨が肌に触れた。
 この風の前に、傘をさすのはさすがに心許なく、室内での幾らかのヨーガを歩行に代える。

 午前9時前にはその雨も止み、風も落ちたと見受けられたので、
 スマホでクリニックの開くのを確認して、整形外科へ器具による頸椎の治療を受けに出掛ける。
 顔なじみの看護師さんから、
 「バイクで来ましたか? 」との問いへ首肯すると、
 「チャレンジャー」と一驚される。 私は戸惑いつつ、
 「風もなかったから」

 クリニックから戻ったのが10時過ぎ、
 午前11時半頃には、つい近所の、片手間の主婦一人で切り盛りしている、昼食のみの弁当店へ、
 これへも、事前に、開店の有無確認の電話を入れて出かける
 ――日頃の弁当配達サービスが、台風に備えて休業だったため。

 炊き立てのご飯を詰めながらその人が、
 「夜明け前はしっかり吹きましたね」と。
 想定外の言葉に打たれて、私の、「そうですか」から覇気が抜け落ちている。
 「気付かれませんでした?! 」の追い討ちに、
 「寝ていたと思います」 控え目な笑い声を立てられた。

 看護師さんの、「(バイクで通院するなんて)チャレンジャー」なる発言も、
 この主婦と共通の認識基盤に立ってのことだったろう
 ――風が弱まったようでも、まだまだ見くびれないくらいの目算はあり得ただろうから。

 事実は、台風は、対馬付近を北上し、その間、福岡県も、すっぽり暴風圏に取り込まれ、
 取り分け夜明け前には、瞬間最大風速34mを記録したのだ。

 私はふと、折々、先頃他界した母が、
 「台風が来ても、福岡からは逸れるもんな」と、ある種の優越感めいた口調で述懐していたのを思い起こす。
 前例が少なくなかったとはいえ、その言には、
 母の、生まれ育ち、生涯離れることのなかったこの土地、及び人々への愛着・執着がふんだんに込められていた。
 
 「福岡」はいわば、絶対の味方を一人、失ったのだ。

 ――おばあちゃん(私の子供らが成長するにつれての、私の母への呼称)、
   今度の台風も、一時、福岡へ暴風の触手を伸ばしはしたけれど、
   直撃をためらい、取り立てて挙げるほどの被害は何もなかったよ。

〈一 過〉 引用
池見隆雄 2022/9/7(水)15:47:24 No.20220907154508 削除
 台風一過

  仕事机に

   ネコ眠る

〈秋 風〉 引用
池見隆雄 2022/8/27(土)14:12:20 No.20220827141027 削除
 秋風の立ちて
   心の塵(ちり)を
       払えよかし

〈付け足し〉 引用
池見隆雄 2022/8/26(金)14:54:21 No.20220826142901 削除
 今週火曜日の書き込み、〈透明な時間〉を書いた直接の動機は、
 言うまでもなく、生き物との思い掛けない邂逅だけれど、
 間接的なそれも明示しておきたい。

 その邂逅の数日前、
 私は、今西錦司さんの「『生物の世界』への回帰」という文章(論文)の最後に至って、
 本文とは1行を隔てて、これも思い掛けなく、
 今西氏の心(真)情告白とでもいうべき6,7行に出くわした。

 恐らく幼少期から今西さんを貫いていたであろう確信(本質)――絶対の平等感に
 接するかのようで、襟を正さずにはおられなかった。

 尚、以下の引用の主語には、“彼”という三人称が当てられている。
 己の情に多少とも距離を置く必要を著者が感じられてのことだろうが、
 読み手の側は、ひとしおその真率さに胸を衝かれる羽目となる。


  「そもそも東海の孤島に生をうけた彼が、異なる伝統の人たちを相手どって、
   生物の地位向上のため、彼らにも主体性を認めよといいだしてから、
   いつの間にか40年が過ぎ去った。

   いま顧みると、彼の払ってきた努力は、かならずしも無駄であったとは思われないにしても、
   その努力のわりには報われることろがすくなかったと、いえないこともないであろう。
   彼はべつにそれを苦にしているわけではないが、生物たちをまえにすると、
   相すまなかったような気持がしないでもないらしい。

   生物たちよ、何億年という長いあいだ、よくぞ耐え抜いてきてくれたものだ、
   ありがとう、ありがとうというねぎらいの言葉をのこして、
   彼はこの世をさってゆく。」 


 この文に目を通していた1分足らずも、
 私のための透明な時間に違いなかった。 

〈透明な時間〉 引用
池見隆雄 2022/8/23(火)14:14:29 No.20220823133638 削除
 一昨日の日曜日、昼食後、車で近傍の農村へ出かける。
 鎮守に参礼した後、その裏の農道を歩き始めて間もなく、
 私の直ぐ後ろからついて来ていた家内が、虚を衝(つ)かれたかのような悲鳴を上げるので、
 振り向きざま足元へ目視を落とすと、
 S字形に身をくねらせた縞蛇が、鎌首をもたげていた。
 体長1メートルくらいだろうか。

 互いにその態勢のまま数秒(家内によれば10秒ほど)が過ぎたところで、
 私にしては珍しく携帯していたスマホで写真を撮ろうかと思い付いたが、
 と同時に相手は、境内との境をなす元の斜面の草むらへ這い込んで行く。
 尻尾の先を震わせて、「ビーン」と聞き取れる異音を発しつつ。
 尻尾を引っ張ってやろうかといういたずら心の私に兆したのを覚(さと)ったのでもあろうか?
 家内が、「ガラガラ蛇みたいね」と冷静さを取り戻して評する。

 後で思い返してみると、蛇と対峙していた数秒、ないし10秒ほどの間、
 内面には、喜びはもとより恐れや敵対心、また欲といった動きはほぼ皆無だったように思う、
 譬えれば、何らの影も宿さず、静まり返っている池の面、
 覗き込めば、水底の砂や何かが、くっきりと見て取れる、
 あるいは、一言に言えば透明なひととき。

 そこへ撮影して他の人へも分かとうという欲のさざ波が立ったとき、
 相手も動き出した。

 何にしろ、その遭遇の前、うだる蒸し暑さに閉口していたのが、
 その後では、残暑という気候を肌身に味わうといった
 懐かしく清新な心持に切り替わっているのに気付かざるを得なかった。

 早や実りかけた一面の早稲の田、
 頭上隈なく広がる藍(あい)を湛(たた)えた空、
 重厚で多彩なオブジェめいた雲・・・・・。

 妻が証言するには、蛇は、斜面を滑り落ちてくる具合で、
 全く唐突に、前後する私と妻との間に身を現したという。
 この小文を記しつつ私は、
 彼が“存在”のレベルで、私たちと同等であることを暗示せんと欲したのでは、
 と疑い始めている。
 あまりに唐突な出現が、私の内に透明な時間を喚(よ)び越こし、
 そうした質感の出会いを可能にした!?

 ――人の上に神なく人の下に生物なし。
 

〈私の癖〉 引用
池見隆雄 2022/8/19(金)15:57:46 No.20220819155138 削除
 今西さんは若い時分、柳田国男の『遠野物語』を、
 暗唱するくらい繰り返し読んだという。
 煽(あお)られやすい私は、それを入手することに。

 そうでなくても、
 私は、きっかけを得て、
 新たな書物に親炙(しんしゃ)できるのを大いに好む。

 つい今さっき、『遠野物語』が配達された。

〈雲 へ〉 引用
池見隆雄 2022/8/17(水)15:06:43 No.20220817150516 削除
 見飽きもせず
   雲の峰
    雲の谷

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